なぜもくそもない

10月末に公募に出した小説の1次選考の発表が今日ありました。ウェブサイト上での発表ね。
1次通過者の一覧を目で追い(このドキドキ感、受験の発表みたい…)一番下まで行ってはまた戻り、一番上まで行ってはまた下がり…何度も見返しました。
うーーーーん。納得できない。
結論から言うと、1作品通ってました。3作送ったうちの1作、です。
3作まで応募可能なので、3作送る人も多いんですよね(短編ですから)。で、3作、あるいは2作入ってる人もけっこういる。でも私は1作しか通ってなかった。しかも一番自信があったやつ(これをAとしましょう)が落とされてる。で、ごく普通のデキかなぁと思っていた作品(これをBとします)が通っていて、もうひとつ、自分でもあまり面白くないかもと思ってたもの(これをCとします)が落ちてました。
Cが通らなかったのは、まぁ、いいのよ。練習だった、と理解できている。Bが通ったのも、まぁ、そりゃそうだよ、1次選考なんだから、と。でも、どうしてAが通らなかったのだろう。解せない。一番気に入ってて、これで落ちても絶対に書き足して広げてまたあの世界に入ろう!と思っていたくらい書いてて大満足だった作品です。既存のネタでもないし、パンチもあるし、面白いし(って全部自画自賛だけど!)ほんと、公募の審査ってわからないもんですね。
ちょっとアクの強い作品だったから嫌われたのかもしれないし、一か所明らかな間違いがあったのがひびいたのかもしれない。実は基本的な応募要項を守れていなかったことがバレたのかも←400字詰め原稿換算枚数を総文字数を400で割った数で出してしまったのです(公募初心者ならではの基本的なミス。でもこのせいではないわね。Bが通っているのだから)
「なぜ?」という疑問符が頭から離れない。あれがダメなら私の書くもの大半ダメかも、という恐ろしい考えも湧いてくる。だって自分でメチャクチャ面白いと思ってたんだから。感覚が他と違うってことになるだろ。しかもくどいようだけど1次だからね。2次だったら「ああ、ダメだったか」で終わるんだけど。
ってか、こんなのなぜもくそもないんだよね。ダメなもんはダメなんだから。私も別にショックってわけじゃないのよ。「なぜ?」がぐるぐるしてるだけ。

まぁ、終わったことはもういいです。
忘れよう!
でも、Aをこのまま埋もれさせる気はさらさらないので、今はAの世界を広げる喜びを再び味わえることに期待しようと思っています。これは予定では8月締切のものに送るつもり。すでに年間計画ノートの中にはそう書いてあるので、自分の中ではどのみち大賞獲れるとは思っていなかったのです。1次で落ちるとも思ってなかった、ってだけで。
こんなことにもめげずにとにかく書き続けるしかない。この賞はもう期待できないので早く次の賞に送らねば!
1年中何かしらの「結果待ち」がある状態にしたいんですよ。そうでないとモチベーション続かなくなっちゃうから。

応募した3作品は底辺でわずかに連作っぽくなっているもので、(登場人物がリンクしてる別の話)どれも明治45年の設定です。どっちかっていうと時代小説で、今風ではないのに今ドキ女子の読む物を募集しているところに送ってしまったというのも分が悪かったのかもしれない。
無事に1次通過したBはとても可愛い作品で、すぐ映像化できそうなやつです。簡単に場面が浮かぶという意味で。でも、この賞の雰囲気には合ってないから(以前、舞台が似ているものが受賞しているし)これ以上は上に行けないと思う。2次が通れば審査の方の講評がつくので、それはすごく読みたいのだけど…無理だろうな。予防線張ってるわけじゃなくて、私はもともとAは2次までいける、Bは1次まで、Cは1次通過があれば御の字かな、という自己評価だったので。
BとCの作品はここを落ちたら書き直して云々ということもできなそうなので、そのままお蔵入りです。
ウェブで小説書いてた時と違って、誰にも読まれずにお蔵入りっていうのがちょっと悲しいわね。ウェブだとどんな駄文でもとりあえず読んでくれる人がいて、何か言ってもらえる。それは書いてる側にとってはかなり救いです。でも、そこに居ては公募の世界には行けないからね。腹をくくってたくさんのお蔵入りを書くしかないのでしょう。悔しかったらお蔵入りしないものを書かなくてはね。頑張ろう。


それはできる、それをやる、と決断せよ。それからその方法を見つけるのだ。---リンカーン