『世間有她』(Hero/HerStory)

李少紅(リー・シャオホン)、陳沖(ジョアン・チェン)、張艾嘉(シルヴィア・チャン)の3人の女性監督がそれぞれ1作ずつ担当した短編3作のオムニバス。

いずれもコロナ禍の中での女性たちの人生を描いています。2021年の中国映画。日本未公開。なぜか1年以上もお蔵入りだったのが、2022年9月にやっと本国公開されました。

それぞれの作品の概要は以下の通り。

 

■エピソード1:武漢/嫁と姑の物語
*李少紅(リー・シャオホン)監督作品

(ストーリー)    
沈玥(周迅)は夫、幼い息子、姑の李菊(許娣)と一緒に暮らしている。ある日、沈玥がコロナに感染、やがて李菊も感染する。閉鎖された武漢で、病院のベッドにも空きは無く、自宅療養を余儀なくされる2人。夫と息子はホテルに離れて住むことになる。
狭い家の中で嫁と姑が些細なことでぶつかり合い、険悪になってゆくが、ある日容体が急変して…

 

■エピソード2:北京/恋人同士の物語
*陳沖(ジョアン・チェン)監督作品

(ストーリー)
小鹿(黃米依)は、武漢で恋人の昭華(易烊千璽)と同棲している。春になったら結婚する予定。正月の帰省で小鹿が北京に帰っている時、コロナが広がり武漢は閉鎖され戻れなくなってしまう。毎日リモートで連絡を取り合う二人。ところがある日、突然連絡が取れなくなり…

 

■エピソード3:香港/夫婦の物語
*張艾嘉(シルヴィア・チャン)監督作品

(ストーリー)
梁靜思(鄭秀文はカメラマン。夫の何達仁(馮德倫)はTV局の報道部に勤めている。夫は仕事が忙しく家庭を顧みる時間がない。妻は家庭、子育て、仕事と忙殺される中で、夫への不満を募らせてゆく。ある日、久しぶりに休みが取れた夫が子どもたちを連れて遊びに出かけるが、帰ってきた幼い息子がその晩発熱する。コロナに罹ってしまったのか?パニック状態になった妻はあらゆる不満を怒涛の如く夫にぶつけるが…    

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いずれも2020年1月時点のコロナ禍の市井に生きる、ごく普通の女性たちの人生に焦点をあてて描かれています。
3作品ともそれぞれに監督の個性が色濃く出ていて、作品のトーンが見事に違ってる。3つでワンセット、という一貫性は希薄なので、全体で1つの作品として見るととらえどころが無いような印象を受けます。
1冊の文芸雑誌…みたいに捉えたらいいのかも。テーマがあるけど、わざと違うトーンの作品がパックされてるイメージで。

現地の映画評をざっと見たところ、評価はイマイチといった感じ。凡庸、との声がわりと多い。
千璽の出演する「恋人編」を撮影した陳沖(ジョアン・チェン)監督が最も評価が高そうです。陳沖の作風は文学的な色合いが濃いというか、繊細で深みのある印象を受けました。私も3作品のなかで「恋人編」が一番作品としての面白さがあると感じてます。

 

待望の千璽出演作品ですので、このエピソードについて、少し詳しく掘り下げてみます。

注意!ここからはネタバレあります!
内容を知りたくない方はココから先には進まないでね。

 

◆モノクロの世界×カラーの世界
この作品だけ、モノクロ映像で始まります。ずっとモノクロなのかな?と思いきや、リモートで繋がる恋人のいるスマホの画面だけカラー映像になっている。恋人同士はお互いのスマホの中で豊かな彩りをもって存在しているのです。

モノクロの画面はコロナ禍の閉塞した疫病世界を、カラー映像は愛しい人の存在を、それぞれ表しているのだと感じます。
1か所だけ、スマホの中ではないのにカラー映像になるところがあります。小鹿が、昭華のいなくなった部屋で干された洗濯物を見つけた時。昭華の残していった行為に彼の存在を感じたということなのでしょう。このシーン、ものすごく胸にキます。前段で洗濯物に言及してるんですよ。干してある洗濯物、どうした?って。雨が続いて湿ってるからまだ干してる、と。残された洗濯物はあの時間の「続き」なのです。「続き」だけど、ここで「おしまい」なのです。洗濯物にはお互いの下着なんかもごっちゃに干してあって、すでに二人が一心同体に暮らしてたことを物語っています。洗濯物を取り込んだあとのベランダは灰色の空間に代わりました。
この表現方法は、単純なようでいてダイレクトに心の深いところに届きます。なかなか効果的。

 

スマホの画面というまなざし

現代では、スマホの中はもう一つの世界です。現実だけど、ちょっと現実から浮いている世界。そこを通して見る風景は、どこか時空の感覚が独特です。この「現実味の無い現実」を描くことで生まれてくる感覚を、この作品は大切にしてると感じます。映像のテクニックとして、この作品はスマホの機能をよく使いこなしている!
例えば、昭華が病院で病状が急変したとき、リモート通話中に持っていたスマホを落としてしまいます。スマホに映る映像は慌ただしく動く看護師や緊急事態を伝える声のやりとり、運ばれてゆく担架の影…そして暗転。それまで「私」と「彼」だけの閉じた世界だったスマホの画面に、一転して慌ただしい社会の騒音が入り込み、愛しい彼の姿が見えなくなる。底知れない不安。
自分は行きたくてもいけない遠くで起こっていることなのに手に取るようにその様子が伝わってくる臨場感や焦燥感などがとてもよく伝わってくるシーンです。スマホが無い世界では、こういうのどう描いていたんだっけ?と、ふと考え込んでしまいました。

 

◆恋人たちの時間
昭華のいなくなった灰色の世界で、鮮やかな色彩を持つスマホの中を見る小鹿。昭華との楽しかった日々の画像がたくさん残っているのです。積み重ねてきた二人の月日は、スマホの中で色褪せずに鮮やかなまま。
そんな中で、画像で歳をとらせるアプリで遊ぶ2人の姿が残っていました。どんどん歳をとってゆく昭華の姿…そこには2078年にいたはずだった昭華の姿がありました。57年後、80歳手前くらいの年齢になった昭華を見て、小鹿は号泣します。自分たちにあったはずの未来はもう存在しないのだという絶望感を表現するのに、このアプリを用いたのはわかりやすいな、と思います。失ったものが可視化されることで小鹿の痛みがダイレクトに伝わってきます。
陳沖(ジョアン・チェン)監督って小道具や装置の使い方がいちいちとても巧いんですよねぇ。しかもとても身近な感覚でわかりやすく表現する。これって逆に、映像表現に長けた人ではなかなか手を出せないところかもしれない(単純すぎじゃないかとか、あざといのでは?とか考えすぎちゃって)。でも往々にして、物語を伝えるには凝った修辞よりわかりやすい表現で伝えるのがベストだったりするんですよね。

 

◆あと少し広いバスルームだったら?!
ちょっとコミカルでエッチで可愛らしい恋人同士の甘いやり取りもあります。このシーンは千璽がちょっと、微かに、ほんのわずか、セクシャルな面を見せる、といういまだかつてないきわどいシーンでもありますw
バスルームからお風呂上がりの昭華とリモート通話してる時。

全裸の昭華に、小鹿が「ちょっと遠くに下がってあなたを見せてよ」って言うのです。オッケー、と後ずさりする昭華。下半身の肝心なところが見える寸前で壁に背中が付いちゃうw見えそうで見えない寸止め状態です。


その時、昭華がこう言うの。
「ああ、もう背中が壁についちゃいましたよ”領導”
英語の字幕だとこの「領導」は「マダム」と訳されています。「領導」という言葉には「上司」「指導者」の意味の他、「配偶者」という意味もある言葉のようで、この場合どっちのニュアンスで言っているのだろう…と迷いますが「マダム」ってのはとてもこの場の雰囲気の合ったいい訳ですね!
それを受けた小鹿は「私たちにはもっと広いバスルームが必要ね」と言うのです。もっと広いバスルームだったらR18指定になっちゃいますねw

 

◆李昭華という新しいキャラクター
この作品の千璽はエピソードの一つの登場人物だし、ほぼほぼリモート通話の画面の中にいるだけなのですが、それでも「李昭華」という青年としてしっかりと存在していました。
ほんとうにね、普段目にする千璽って、代言人のおすまし顔ばっかりで、ものすごくクールで感情の動きが見えなくて、どこをとっても金太郎飴みたいに同じ顔をしてるんですけどね、いったん役に入るとこれがガラッと変わる。生き生きと、感情豊かな血肉を持った存在として現れるんですよ。役柄の真髄を理解してスッとそこに入り込んで別人になっちゃう。その能力が何度見ても本当に凄い!
昭華は自分に自信があるタイプの男の子じゃないのね。小鹿の方が引っ張ってく感じなんですが、そのバランス感がいい塩梅で出ています。2人が2人でいることの心地よさが丁度良い空気感の中に呼応してるのを感じます。
劇中、2人の馴れ初めになった夏休みの話が出てきます。熱が出て寝込んでいる昭華が涙ぐみながら話す「初めて手をつないだ時」「初めてキスした時」「あの夏の日」…。昭華はそれらの記憶を一生忘れない宝物として胸に抱えていることを小鹿に告白するのです。昭華は控えめで、優しくて、感謝の気持ちを忘れない男の子なのだというのが、少ないシーンの中でもよくわかります。

「恥ずかしくてずっと言えなかったけど、僕みたいなツマンナイ男がこんなに幸せでイイのかな…これって一生分の幸せなんじゃないかなって思ってたんだ」
もうね、こんなこと言う時点ですごいフラグ立ちまくりでしょうが…どうせ千璽のことだから(最後まで出演してナンボの計算をされると踏んで)『中国医生』のパターン再びってヤツでしょ?…と思いきや…あららら(涙)。という、わりと予想外の結果になったのに驚きました。
でも、全編の最後に回想シーンで千璽は出てきます。この千璽がとても胸キュンなのでお見逃しなく。

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あ!…気がついたら他の2作品の感想を何も書いてない事に気がつきました(汗)。

武漢編も香港編も、女性の人生の生き難さのようなものが、コロナをきっかけに表出してきた物語です。嫁と姑、妻と夫は互いに些細なことの積み重ねですれ違ってきたのですが、「一大事」があった時、今までとは違った局面が現れる。いずれも女性であるからこそ置かれる立場の難しさを描いています。答えなどない問題ですが、あらためて問われると、考えるきっかけになるかも。

鄭秀文の演技は素晴らしかったです。イライラした「いかにも」な感じをすごくよく演じてました。久しぶりに見たステ(馮德倫=スティーヴン・フォン)が懐かしかった~!ちょっとオジサンになったけど、変わらないですね。イライラさせられる旦那だけど、悪気はないし、本当は優しい人だというのがよくわかるキャラを演じてました。

周迅はねぇ~貫禄がありすぎて嫁のツラさが伝わりにくい!w姑の方がやりこめられちゃってそうなんだもん。和解の部分も唐突で、ちょっと理解しにくい話だったかな。

ていうか、なんだか千璽のターンだけがめちゃくちゃ悲しい話になっちゃってるよ…。他の2編はハッピーエンドなのにーーー(涙)

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千璽関連のプロモ画像もろもろ、載せておきます。

直筆での文言が書いてあります。
「生活没有答案 也不需要答案(人生には答えがない。答えは要らない)」

 

 

カウントダウンポスター

 

「撸猫(猫モフ)愛好者」www
本人そのままの素晴らしいキャプションがついておるな。

 

 

 

幕後、打ち上げ風景。


チーフ プロデューサーの董文傑と。

最初の公開予定時に出されたポスター。

「三都三世界」のキャッチのとおり、背景をよく見ると、武漢、北京、香港のそれぞれの都市の特徴が出てますね。

予告編

www.youtube.com