易烊千璽『後座劇場』:物語へと昇華される記憶

易烊千璽のアルバム『後座劇場』は 2020年11月28日(千璽の二十歳の誕生日)にリリースされたもの。(2年も前のものだけど、私は今ハマったので全て後追いなのよ)
収録楽曲は往年の名曲なので、カバーアルバムではあるのですが、全編が「劇場で上映される一つの物語」という構成のコンセプトアルバムになっています。

アルバムの構成は以下の通り。元歌の歌手を併記しました。

39km
「野花」…田震(ティエン・チェン)
38.7km
「愛情鳥」…林依輪(リン・イールン) 
35km
「親密愛人」…梅艷芳(アニタ・ムイ
4km
「孤独的人是可恥的」…張楚(ジャン・チュウ)
0.5km
「愛的箴言」…鄧麗君(テレサ・テン
0.01km
「送別」…作詞:李叔同(唱歌。日本語での歌詞は「旅愁」)

全6曲の懐メロが入っています。
その合間に、距離が示されていますが、そこには実況中継みたいに「街の音」が聞こえる。
私はこれ、最初何の予備知識もなく聴いたのですが、「なんだこれ?いちいち曲の間に街の音を入れて雰囲気出してるけど、この部分、要らなくないか?」って思ったんですよ。で、この曲間の音を飛ばして歌だけ聴いてたの。

全く何もわかっていなかった!

このアルバムは、実は全体で一つの物語になっている(合間の音もあって物語が完成する)のだというのを後から知りました。その物語というのが、
「千璽が幼い頃、ママと二人でバスに乗って、2時間かけて習い事のレッスン会場まで通った日々を描いたもの」だったのです。
つまりこれは千璽の私小説の如きアルバムだったわけですよ。( 前回のエントリで千璽の来歴を書いたのは、この作品を紹介するうえで先に触れておきたかったからなのです)

そんな事とはつゆ知らず(汗)

まず、この意図が伝わらないと、この作品は本質的に楽しめない。前提ありきのものなのです。
しかも聴く人をめちゃくちゃ選ぶ。ファンにしか、たぶん、届かない。
千璽も、このアルバムは「わかってくれている人にだけ届けばいい」と思っている。そしてなによりも、これはママに捧げる作品なのです。ほぼ、一般大衆関係ない。知らん人は知らんままで、という…いかにも、ザ・イー・ヤンチェンシー!って感じの作品になってます。(お愛想を振りまかない、迎合しない、ってほどの意味です)

39㎞というのは、昌平区の家から德勝門のレッスン会場までの距離です。
39㎞地点の時刻は19時。レッスンが終わって、帰路に就くところから物語は始まります。
「ジャクソン、あなた後ろの方にいたから先生の動きがよく見えなかったんじゃない?」「大丈夫。後ろからでもちゃんと見えてるよ」

なんて話しながら親子は歩いてる。途中で屋台がある通りに差し掛かる。
雑踏の中から「ソーセージは入れる?」「塩漬けのクリスピーチキンもあるよ」と聞こえてくる。ここで買う食べ物がバスの中での二人の夕食となるのです。
38.7㎞地点にある停留所でバスに乗る。「ママ、一番後ろの席空いてるよ!」最後部の座席に座る二人。
バスに揺られている間、千璽の耳には絶えず「街の音」が聞こえています。人の話し声、ラジオの音、雑踏、ママがパパと電話で話す声、ママとの会話…。疲れた体をバスの後部座席のシートに埋めながら、幼い千璽が聞いていた様々な「音」。
途中、35㎞の次に、いきなり4㎞になっているのは、疲れて眠ってしまったのでしょう。「ジャクソン、ジャクソン、起きて」と、ママに起こされる声で目が覚めます。(言い遅れすぎててビックリしましたが、千璽は英語名ジャクソンというのです。ジャクソン・イー。ここでのママは彼のことをジャクソンと呼んでいます)
0.5㎞でバスを降りる。バス停から家までちょっと距離があるようです。二人が静かな夜道を歩く音が聞こえてくる。ママが鼻歌でテレサ・テンの「愛的箴言」をハミングすると、千璽も一緒に声を合わせる。二人でお月様を眺めながら、きっと仲良く手をつないで歌いながら歩いたのでしょう。
0.01㎞。家に辿り着きました。集合住宅の階段を上る音。誰かがピアノを弾く音が聞こえます。(千璽は後年、このピアノを練習していた子がとても励みになったと言っています。ああ、ここにも頑張っている子がいる、自分も頑張ろう、と思ったのだそう。)
家に着くと、ママは手を洗うように千璽に言います。水道から流れる水の音がどんどん大きくなって…ふっと無音になる。そこで唐突に現在の(大人になった)千璽の声で最後の一言が入るのです。
「ママ、明日は 塩漬けのクリスピーチキンを食べてもいい?」
この一言で、過去が現在に繋がっていることを示している。自分はずっとママの子だよ、と伝えてる。

コンセプトを知って改めて全編通して聴いたとき、私は胸がいっぱいになってホロホロ泣いてしまいました。これは…ねぇ。胸にクる。
私にも息子がいて、同じような経験を大切に持っているせいもあるかもしれないけれど、何とも形容しがたいセツナクて愛おしい気持ちになる。いや、母であろうがなかろうが、千璽の思いはもちろん伝わってくるんだろうけども、どうしたって”小さな可愛い私の坊や”を思い出して涙ぐんでしまうのよ。
懐メロの楽曲もどれもイイ。これは千璽の思い出、というよりもママの青春時代を思い描いた選曲なのでしょう。センチメンタルで、でも廃れない良さがある。どれも元の曲とは違ったアレンジがしてあるけれど、古さと新しさが絶妙に混ざり合っていて、いい感じにできている。

曲はカバーだし、曲数も少ないのに、千璽はこのアルバムを作るのに7か月も要したそうです。いかに緻密にこのコンセプトを練り上げたかわかろうというもの。
どういう形だったら一番いい結果をもたらせるか?ということを、熟考したのでしょう。自分と母親との大切な思い出に、知りもしない連中がズカズカと土足で踏み込んでくるのを、永久に封じるための、これは効果絶大な装置でもあるのです。
過去のできごとを物語として昇華することで、彼は自分と母親を救いたかったのだと思う。「可哀そうな子ども」と「鬼のような母」(こう言われるのが彼はずっと不本意だったに違いない)などどこにもいない。本来であれば自分たちの胸の中だけで温めておくはずの美しい記憶を、物語として放つことで解放されたのではないか。
二十歳の自分の誕生日に、このアルバムを出すことの意味も含めて、こんなに良く練られたシナリオは観たことがない。この子、マジで凄いな…と、思いました。自分の人生を虚構として消費することで大衆(の憶測や批判)を先んじて制するなんて、容易に思いつくことではないし、もはやそっち側の世界でしか生きられない人間として肝が据わってる。千璽は物語の力を誰よりも強く信じているような気がします。

オフィシャルの紹介Vで、「各曲の曲名を自ら書く千璽」のイメージ映像があります。それぞれはごく短いものだけど凄くイイ雰囲気。全部で7つあるけど、好きなの1つだけあげておきます。ちなみに千璽は書道の腕前が師範並みですから、書く文字も若者離れしてる。


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こちらはリリース前のカウントダウンCM(ご案内編)


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なんとアルバム全部が聴けます。
めっちゃ編集うまいけどこれファンメイドだよねぇ。愛情を感じるわ…
ちなみに私が一番好きな曲は2曲目の『愛情鳥』。今の時代に聴くと新鮮な曲。


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