シンクロニシティ

昨日書いた公募作品に関するエピソード(候補作とのネタ被り)は、考えれば考えるほどスーパーナチュラルな感じがしてきました。
単なる偶然かもしれないけれど、それにしてはあまりにもピンポイント過ぎる。不気味なほどに。
これはたぶん「意味のある偶然の一致」、つまりシンクロニシティなのかもしれません。「シンクロニシティかもしれない」なんて思った時点で、すでにそれはシンクロニシティでしょう。
神様が、私に何かを伝えようとしている。それは何だろうと、今日一日ずっと考えていました。

件の作品に対して、私はかなり強い思い入れを持っています。賞を獲るなら、これで獲りたい、と、大事に温めてきた。落とされるのが怖くなってしまい、なかなか出すきっかけを失ってもいる。自分の中でひときわ大切にしたい作品というか、ちょっとやそっとでは諦められない作品になってしまっているのです。数ある推理系の公募でも横溝賞に出そうと思ったのは、この賞には大賞以外にも賞があるからです。大賞以外に、優秀賞、奨励賞、読者賞がある。どれかに引っかかればもしかして出版されるかもしれない。だから、大賞しか選ばれない他の文学賞でなく、ここ、と決めたのです。

でも、その横溝賞でこんなシンクロニシティが現れた。
明らかにこれは「やめときなさい」というサインです。それだけは確かなことです。ネタ被りはありえませんから。もちろん私はここに応募するのはやめました。ここではない、他の賞に回そう、と思ったのです。でも、他って…どこ?
考え抜いて横溝賞に決めたのに、そこがダメなら他へ、ってのは、ちょっと軽々しすぎる。意識が追い付かない感じがするのです。

そこで思い出したのが、逢坂剛さんのデビュー時の話です。
逢坂さんは「カディスの赤い星」で直木賞を受賞してますが、この作品を書いたのは作家になる前のことでした。実質的処女作ですね。凄く思い入れのある1500枚もの大作。出版社への持ち込みのようなことをしますが、作家でもない人間が書いた小説などまったく相手にされず、原稿は返され、押入れの奥深くへと眠りました。
この時から、逢坂さんは公募新人賞への応募を始めるのです。作家になりさえすれば、「カディスの赤い星」を読んでもらえる、と。この小説をいつか世に出すために、”まずは小説家になる”ことを目標にして公募を続けたのでした。2年後、オール読物推理小説新人賞を獲り、作家となりますが、それでもまだなかなか初版以上を売れるようにはなれず、さらに6年を経て、ようやく「カディスの赤い星」を世に問う時がやって来たのです!そしてこの作品はその年の直木賞を受賞しました。
…これ、凄いエピソードだと思いませんか?作家の確信というか、「この作品こそが」と思える大切な作品に対して、作者が”何をしてあげられるのか”を考えさせられる。選ばれる側にばかり立って物事を見ていてはダメだと教わる思いがします。自分の作品を守ってあげられるのも作者だけなのです。

で、私のシンクロニシティに戻りますが。
色々と考えた結果、この作品は公募には出さないと決めました。
逢坂さんの「カディスの赤い星」と同様に、これを読んでもらうために作家になろう、と思うことにしました。作家になれなければ、この作品は永遠に世に出ない。それでいいや、と。
審査にかけられて落とされることに耐えられない。闘わせたくない。愛着がありすぎて、まだまだ書き足りていないし、もっとたっぷり時間をかけて、自分の代表作として大切に育てたい。そして闘わせずに願い請われて満を持して世に出したい。新人賞ではなく、いつかもっと大きな賞を獲らせてあげたい。
そんな遠大な夢を持って、この作品は大事にしまっておこうと思います。
これが神様が伝えてくれたメッセージどおりの行動かどうかわからないけれど、こう結論を出したら不思議とプレッシャーが取れてスーッと楽になりました。
この作品以外の作品だったら、私、どんだけ落とされても多分全然平気です。次はもっといいの書いてやる!と思える。この作品を封じたら、見違えるほど自由で、アグレッシブな気持ちになれました。

あ、これが正解。
直感で、そう思いました。