五月も半ばを過ぎ

暑くなりました。あっという間に夏ですか。
夏のマスク生活のことを考えると今からどっと疲れますねぇ…。
ここのところずっと、感染予防とオシャレを兼ねて、マスクを二重にしているんですけど(不織布のマスクの上に可愛い柄の布マスクをつけている。←布とはいえ、ハイドロ銀チタンのもの)、すでに暑い!しんどくなってきました。でも、いったん二重マスクになれちゃうと、一枚だけってのがすごく心もとない感じ。めっちゃ薄着で出かけてるような。その意味で言うと、もはやマスク無しでの外出は全裸で外出に近い感覚ですね。
以前、人前では常にマスクをしていないとダメ、という知人がいました。マスクをしていると、話好きで明るくて愉しい人なんですが、外すと意識してしまい人と対面できなくなるのだそうです。一種の強迫観念みたいなものがあったのかな?
彼女は今のこの「マスクしてるのが当然」の世の中はすごく生きやすいのだろうなぁと、ふと思ったり。良かったなぁ、って。
私もインプラントの治療中はマスクを外すのがイヤで(前歯が仮歯なのを隠したかった)、でも暑いさかりにマスクをしていると不審がられて説明したりが面倒で、ツラい気持ちになった経験があるので、そんなことを思ったりします。

 

母の手術は無事に終わり、すでに退院しました。
おかげさまで大事なく元気です。入院中に痩せるかも、という淡い期待は見事に打ち砕かれたようですが、まぁそんなことも何よりです。
お医者様の説明では、癌の大きさはステージ1、退院後の治療は必要無く、3カ月に一度、5年間状況を見てもらうために通院するということです。
癌の方は大丈夫ですが、コロナのが今は心配です。手術後で体力や免疫が落ちてますからね。くれぐれものこのこ外出しないように願うばかりです。


私の数少ない楽しみも失われつつあります。コロナのせいで3月に麻雀の会が無くなって、その後少人数のメンバーでお師匠さんのお宅に集まって麻雀やってたのですが、そちらもいよいよ今週から自粛することになりました。
先生の最近の口癖は「自粛なんかしてるうちに、私ゃ死んじゃうよ!」なのでハラハラします。御年85歳とは思えない頭脳明晰な超級スピードの麻雀を打ち、口も達者で動きも機敏なメチャクチャ格好いい女侠タイプの人なのですが、やはりコロナ禍の下では年齢による心配は大きい。先生に何かあったら一大事だということで自粛することになり、そうせざるを得ないことにみんな納得しているのだけれど、そんなのまったく楽しくない、という感覚もあって。なんだかなぁ…という感じ。何よりも先生が寂しそう。
高齢の身空で自粛自粛と好きなことを存分にできず、機会を奪われていくのってすごくツラいだろうと思う。
かといって、誰かのせいで人生そのものを短くしてしまうこともあるわけで…誰も加害者にも被害者にもなってはいけないし、それにはやはり自粛しかない…となってしまうのは道理なわけで。まぁ、ワクチンもそろそろ回ってきてるようなので、状況も変わると思いますが。とはいえ、私はワクチン打つつもりはないですけどね。こういった個人の選択があれこれ言われるようになったら嫌だな、と思いつつ。
あ~あ、ホントに難儀な時代ですね。まるで人生を人質にとられているようだわ。

 

コロナ禍を通して、私はかなり人生観が変わりました。
小さな頃からノー天気で、「いつか」というフワッとした可能性ばかりを夢見るように信じているノンビリ屋でしたが、”明日をも知れぬ””いつ人生が終わってもおかしくない””「いつか」なんて夢物語。「今」しかない”という感覚がリアルに感じられるようになった。
自分ももしかするとすぐ死んじゃうのかもなぁと思ったり。だったらそれなりに準備しとかないとなぁ、とか。
そのことで、いろんなことを「諦める」…って言うとなんだかマイナス思考のようだから言葉を変えよう…「積極的に取捨選択してゆく」、ということが自然とできるようになってきました。
生活の中のこまごました物や習慣、考え方に至るまで、それは多岐にわたります。
自分が本当に必要としているものって、そうたくさんはない。得たいもののために必要のないものを捨ててゆく。
自分がいかに心地よい、楽しい、幸せな時間を過ごせるか?というのを軸に、この先、いろんなものを見極めていこうと思っています。できるだけ簡潔に。いらないものは手放し、でも、大事なところはちゃんと豪華に抱えながら、いつ果てるともわからない人生(もともと人生とはそんなものなのだということにこの期に及ぶまで気がつかなかっただけなのだが)と向き合っていかなくてはね。


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