時を越えて生きる

今年の目標なんて書いていてこんなことを言うのもなんですが、コロナ禍の世の中だということもあり、いつ何時自分の思うとおりに生きられなくなるかわからない、という思いが常に心の中にあります。
あっという間に人生終わってしまうかもしれない。誰も明日のことなど知れないのです。

2年前に亡くなった義母の言葉が、ずっと心に残っています。
義母は末期癌でしたが、最後に倒れた後、家に戻ることができませんでした。いろいろとやり残していることがあるから家に帰りたい、と何度も言っていましたがとても帰れる状態ではなく、諦めざるを得ませんでした。
いつも明るくて、楽しいことが大好きで、小さなことは気にしない大らかな人だったのに、最後に繰り返し言ったのは「こんなことになろうとは」という嘆きの言葉でした。容態の変化が突然だったということもありますが、そうでなくてもやはり同じような後悔はきっとあるのだろうと感じました。
ある日突然、人生は幕を下ろされる。それは決して当人の都合ではない、ということをこの時、私は初めて実感しました。それはいつくるのかわからないのだ、と。大好きだった義母が最後に渡してくれたプレゼントだと思い、私は常にこの言葉を忘れずにいます。

NHK特集でも取り上げられ、世間でも話題になった尊厳死を選んだ友人の言葉も忘れられません。
「人間なんていつ死んでも今じゃないかもしれないと思うもの」という、彼女が死を迎える直前に言った言葉です。
どんな最期を迎えようとも、準備万端整えているつもりでも、「その時」を迎えるのに適切なタイミングなど誰にも分らない。自分で死を選ぼうとする人でさえ、納得できる時を迎えることなどできないものなのだと教えられました。

コロナ禍の中、亡くなった人の話を聞いても、その最期は実に思いもよらぬ形で訪れます。罹患して病院に行ったきり二度と自宅に帰れずに亡くなる人、罹患したと思ったら医療施設に行く間もなくあっという間に容体が悪くなって急死する人。
コロナは本当に怖い病気だと思います。他の病気と比べても、様々な部分でままならないことが多いし、新しいウィルスゆえに病の経過や後遺症などの詳細もわからない。
私たちは今、そんな怖い病気が蔓延する世の中に住んでいる。

生きている私たちはいつかはここから去らなければならないのだけれど、自分の中で認識している時間というものは、ずっと続いている。自分がここからいなくなっても時間はずっと流れてるし、世界は普通に動いてる。そう考えるのが当然ですが、その当然の考えがある限り、自分でその針を止める、という感覚はなかなか持てません。
いつ去ることになっても「今じゃないと思う」のだろうし、「こんなことになろうとは」と思うのでしょう。
大きな時間の流れの中から自分だけが離れなければならない感覚がそう思わせるような気がするのです。
その感覚をなくしてしまえば…つまり、自分を時間という概念から切り離すことができれば、この「ままならない感じ」をそれほど抱かずにいられるのではないか?と考えたりします。
うまく言えないのだけれど、別次元に生きる、みたいな感じでしょうか。
私にとって多分、創作することがそれに値するのです。
物語の世界に没頭していると、自分の人生があるはずの時間軸からちょっと浮いていられるのです。時間の概念から解き放たれてる感覚。そこでは現世的な不安や怖さを感じにくいの。

昔、私は美大受験生だったのですが、予備校で絵を描いているとあまりに没頭しすぎて、朝描き始めたのに気がつくと陽が沈んでたりしました。窓の外を見て夕日が見えるのにギョッとする。一心不乱の状態から日常の時間軸に戻る瞬間がものすごく怖かった。恐ろしいほど時間が経っているのに自分の中では一瞬みたいなんですから。
「こんなことをしていたらあっという間に人生が終わってしまう!」という恐怖をよく感じました。
でも、あのまま絵を描くことに没頭していたら、時間の経過を感じていなかったわけです。幸せな「無の刻」がそこにはあった。そこはある種の楽園でした。楽園から離れて日常に戻る(時間の縛りのある世界に戻ってくる)と途端に不安や恐怖が生まれる。日常には嫌というほど感情をざわつかせる物事が溢れかえっているのだから!

創作というのは時を越えて生きる術(すべ)です。
かつて自分の人生があっという間に終わってしまいそうで嫌だった行為は、裏を返せば、自分を時間から解き放ってくれるものだった。あの時怖かった感覚が、今では逆に救いのように思えています。
時間を忘れて夢中になれることの幸せを、今、すごく感じています。
私が創作を本気で続けていこうと思ったのには、こういった感覚も大きく影響しているの。本気でやらないと夢中になれないからね。夢中になれなければ幸せになれない。
夢中になれるものはある時は神様からサプライズのようにもたらされますが、そうとばかりは限りません。待ってるだけではダメなの。自分から掴みにいかなくては。
私は私を救うために、今日もあれやこれや物語をこねくり回しています。いつかスーッと物語の世界の中に入って時を越えて遊べる日が来るまで、試行錯誤は続きます。