ロング・バケーション

夏休み中の諸々で、どうもモノを書く気分じゃないなぁと思ってるうちに何も書けなくなってしまっている今日この頃。気持ちがそっちに行かないというか。じゃぁもういっそのこと今月いっぱいお休みだ!と思って、創作は一時停止状態にしたのだけれど、何もしないとなると今度は不安だけが大きくなってゆく。気が散ってて何もできないのに、何もしないと焦る焦る。焦りがつのると悲観的にもなる。自分なんか何やってもダメだ的なヤケッパチな気持ちになりがちです。
そんな時にふと目にしたTwitterのトレンドが「容疑者Xの献身」だったりして。「容疑者Xの献身」の話なんかされたらもう、小説を書いているなんてことはおこがましくて口が裂けても言えなくなる。ああ、あんな傑作が一つでも作れたら!と羨望せずにはいられない、全てを兼ね備えた素晴らしい名作。それに比べて(比べるのも図々しいのだが)自分のやってることなんぞ笑われて然るべきものだと卑屈になってしまう。そういう思考に陥る自分がそもそもダメ。できない人間の典型です。
いい歳して、惨めだ。
これだけはハッキリと言えるけれど、どう転んだって「容疑者Xの献身」も「幻の女」も「ゼロの焦点」も「ダヴィンチ・コード」も私には書けない。何度生まれ変わっても、何度人間をやっても、私には書けない、珠玉の名作たち。手の届かない輝ける星々。
だったら私には何が書けるのか?私はいったい何を書けばいいのか?私の書くものに何か価値があるのか?
そんなことを考え始めると簡単に自分の無力さに打ちひしがれることができます。グズグズとナルシスト全開で落ち込んでいると、ダメな自分が愛おしくなるほど小さく思える。とはいえ、作家でもない人間が劣等感なんか持ったとしても「なんじゃそれ!」モンの頓珍漢なので、そんなことはおくびにも出せない。悩むことさえおこがましい。そんな権利さえ無い。
そんな時、私はシレっと味噌を仕込んだり、部屋の掃除をしたり、編み物を始めたりするのです。
「いえいえ、私はシュミで小説書いてるだけなんですヨ~」と、あたりまえみたいに呑気な主婦の顔をする。抱えきれない劣等感からテイよく逃げる(フリをする)。自信の無さゆえ、おのれの現実に冷静に立ち向かえない。
こんなずるい人間はきっと何やっても上手くできないんだろう、と予感しながら、静かに、しんしんと、傷ついている。誰のせいでもない、私は私に傷ついている。
私はかつて素晴らしい読者だったのに、なぜこんなに卑屈な書き手になってしまったのだろう?
どこでどう道を間違えたのか。どうして良い読者のまま素直な書き手になれなかったのか。自分の失ったものの大きさに時々寂しくなる。失う代わりに得たものなど無い。ただ、失っただけだ。
取り戻すには会心の一作を書くしかない。…という思いがまた大きすぎて盛大に空回りをする。
この捻じれた思いを打破する術はひとつしかない。夢中になって書ける作品に没頭する事。夢中のまま書き上げ、達成感に満たされる事。要するに書くことだけが私を救うのです、結局のところ。
ああ、早くその境地に行かなくては心がもたない!と思いつつ、いまだぼんやりと夏休み中。ロング・バケーションです。