連用日記の代わりに

年初にここにも書いたのですが、今年から「ほぼ日5年手帳」を買って日記を書くつもりでした。(下記参照)

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やる気満々で始めたのですが、やがて怪しい状況になり(下記参照)

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結局のところ1カ月もしないうちに書けなくなり、そのまま月日はただ過ぎてゆき、それでも書くことができず、もはや日記帳があるだけでストレスになり、夏過ぎには涙ながらに日記帳に謝罪しつつ処分するに至りました。空白の日がどんどん溜まってゆく恐怖に打ち勝てず、日記帳を持っていること自体が苦しくなってしまったのです。生かすことができなかった心の痛みは今もまだ続いています。
こんなことも実は初めてではありません。昔から日記を続けてつけられたためしがない。何度も何度もダメでした。でも、日記をつけたいという憧れはある。そういうのが上手い人に対する尊敬の念もある。それでも無理なものは無理なのです。私にはとことん向いてない。
今回のことがダメ押しのように効いて、私はようやく自分には紙の日記帳を書くのは永遠に無理なのだ、と納得しました。これだけ思い切ってお高い日記帳(しかも書くスペースはごくわずかな連用日記帳)をもってしてもダメだったので、もはや自明です。

日記が書けない理由らしきものを敢えて挙げてみます。一つだけではなく、これらが幾つも重なってのことですが。

1、何を書いたらいいのかわからない
2、書く字が下手で見るだけで気が滅入る
3、消えないペンが使えない恐怖
4、書けない日が続くとストレスが積もってゆく
5、空白のページが罪悪のように思えて自分を責めてしまう
6、誰にも見せない前提ゆえに、ちょいちょい愚痴を書いてしまう。読み返すと萎える
7、日記帳の(モノとしての)存在が重くて、どう向き合っていいのかわからない
8、いつか絶対捨てる、ということを想像するとすぐに捨てたくなる

……つまり、すごくキツイのよ。
何のためにこんな思いをするのか自分でもわかんなくなってくる。「できない」という劣等感を重ねてまで、私がやりたいことは何なのか。
最初の動機は「日々の記録をつけること」だったはずです。たかが日々の記録をつけるのがなんでこんなにできないのか?シンドイのか?
自分でも、これはちょっとした病であるような気がしてます。

私はよく断捨離の話をしますが、「現物」が目の前にあるという状態が時々物凄いストレスになるのです。ある時急に「所有」がすごく重くなる。で、持ち物をバー―ッと捨てる、というのの繰り返しです。物がある、という状態だけでも心がソワソワするのに、それが累積してゆくことを考えるのはシンドイです。しかも日記となると自分の記録です。それを捨てるのはシンドイ。でも、持ち続けるのも負担なのです。ちなみに毎年の手帳(予定を書き込むもの)も、年が変わるたびごとに捨てています。手帳は記録ではないので捨てられますが、日記となるとそうはいかない。

消えないペンが使えない、ってのもかなり深刻なレベルです。
書き損じが怖くて、私は常日頃、筆記具は鉛筆かフリクションしか使いません(使えません)。普通の消えないボールペンや万年筆も、それ相応の時には使いますが(公的書類を書く時とか、郵便物出すときとか)、普段は絶対使わない。どこに行くにもフリクションと一緒です。フリクションがどこにいても手元にあるようにあちこちに置いてあるので、私の周りには大量にフリクションがあります。
そんな私が、日記のような「残す」ものには「消えない」ことが前提と思い、万年筆で書いていました。これはもう明らかに破綻が見える行為でしょう。
フリクションはドライヤーで熱を与えると、一気に全部消えます。その儚さゆえ、「残しておきたいもの」には使えません。いつ”跡形もなくなる”か、わからないから。万年筆もフリクションもダメ。じゃ、残しておきたいものをキレイに残すには……と考えた時、真っ先に浮かぶのがPCの中です。.記録はPCで残す、というのが私には一番無理がないし、気がついてみればずっとやってきたことでした。
ネットだったら……ブログだったら、できるんだよなぁ…と、気づきました。ブログの書き込みは「もの」ではないので、累積が圧力になりにくい。
もしブログを連用日記くらいの量で続けるのだったら、なにも無理せず続けられるような気がします。
肉筆と違って下手糞な字に萎えずに済むし、何よりも書き損じがない。他人が見ている場所ということで愚痴はなるべく書かないようにするから、読み返して嫌な記憶もそう残らない。
あ、なんだ、ブログで「日々の記録をつけること」は叶うじゃん!って、気がついたのです。
生きてりゃ一日にひとつの感興もない日などあり得ないわけで、何かしらの想いがある。言葉がなくても、その感覚だけでも残せたらいいし(画像だけとかね)、日々の記録だと思えば読んだ本や見た映画もただメモしてもイイ。今まで、本や映画の感想をブログに書くには、きっちり”感想文”を書けなけりゃ載せる意味ない、と思っていたので、ほとんど触れたものを記録できずにいました。感想文を書くにはそれなりに時間かかるんでね…よほど印象的なものしか書く気も起きないし。でも、連用日記だと思えば、そんなに構えなくてもいい。気軽に目にしたものをメモするだけだっていいじゃないの。なんなら「本日青天。何事も無し」だっていいじゃん、と。
そんな風に考えたら、なんだかすごくいい落としどころを見つけたような気がしたのです。灯台下暗しみたいな。ブログへの思い込みをちょっと変えるだけで、記録も残せるし、ブログ自体も楽に続けられそう。
……という意識の変化で、先日から思いついて毎日ここを更新してます。
今後、このブログの方針は、「連用日記のつもりで」ってのにしました。
つもりですから、続かないかもしれない。たぶん私のことですからすぐにまた更新滞るでしょうけど、何も連続更新目指しているわけではないのでいいの。続かなくてもまた気が向いたら再開できる。今までもここではそうしてきたし。空白の期間が日記帳のように真っ白なスペースとして圧をかけてこないから、恐れおののいて捨てたりしなくても済むだけでも気が楽です。
今更ろくに人が見ないブログをやってても……って、その存在意義が見いだせない時期もありましたが、私なりにこの場が必要という結論が出ましたので、今後も続けていくことにしました。とにかくダラダラと長い文章が書きたい私にはSNSは向いてないし。
奇しくも昨日、アドセンスの申請に通ったのも、神さまが、GOサインを出してくれている気がします。とりあえず、続けてみなされよ…と背中を押された感じです。
というわけで、引き続き私はここにいますので、気が向いたら立ち寄ってみてください。