時はめぐり

私がレスリー・チャンを思い出すとき、蝶衣よりヨディよりステージで歌う彼自身の姿より先に心に連想するのは、一人の友人です。
思い出の曲と同時にそれが流行っていた頃の風景がパッケージされて心に残るのと同じように、私は明星とその明星のファンだった友人とをパックで記憶の引き出しにしまっているようです。
學友を思い浮かべるときは學友迷の、偉仔だったら偉仔迷の誰かのことが心に浮かぶ。
たぶん、迷の人って誰よりもよくその明星について語るから、だんだん聞いてるこっち側の意識の中で明星とその人が同化してきちゃうんだと思う。

レスリー迷のその人は、赤いバラを抱いたレスリーが一番好きでした。
だから私の中のレスリーも、いつも赤いバラと一緒だ。
なので葬儀の白い花はどうも違う。イメージが。あれはてんでレスリーらしくなかった。
何年か前の4月、たしか、パッションツアーの翌年だったっけか…一緒にお花見に行ったときにその友人が作ってくれたお弁当のことなんかをフッと思い出したりする。切干大根があったな、とかこまかなことを。
そのときに彼女が「レスリーのことは私にとっては特別すぎて言葉では表現できない」とか言っていきなり涙をホロッと流したこととか。
あの花曇りの日、「大熱」をはじめて聴いたんだっけなぁ、とか。


アイドルも、音楽も、風景も、みな記憶の中で誰かとくっついている。
その「誰か」がいなくなっても、一度パックされた記憶は残っていて、ときおり思い出してみては少し優しい気分を味わったりしてみるわけです。

レスリーがいた時代は私が香港明星にいちばん夢中で恋していた時代でした。
あの頃を思い出すと、去ってしまった(多分もう二度と手に入れられない)恋心がキョーレツに蘇ってきます。香港の街を夢見るだけで楽しかった日々が。
私にとってレスリーは、だからいつまでも佳い記憶と共にあります。
哀悼よりもそれは郷愁のように心に残っているので、思い出しても微笑ましいばかり。

あたりまえですが、誰かの死に対して思う気持ちは誰もが違って、決して同じではないんだ…というのを最近になって身を持って知りました。
ものすごくレスリーのことが好きだった人にとっては今でも悲しいエイプリルフールだとしてもそれは当然ですが、私にとってのこの日は今ではレスリーを、そして彼を好きだった友人やあの頃の自分を、懐かしく思い出す日となっています。それもある意味象徴的なのだけど、悲しみの色にはあまり染まっていないのね。

つか、そんな私よりもヨディを演ってるレスリーの方がずっと長生きするんだろうし。
だから逆に、あの映画を見たときに誰かが私を思い出してくれたらいいな…なんてことを考えちゃう。
もうちょっと経ったら、子供たちと一緒にこの映画を観に行こう、なんてなことを思ったり。