不甲斐ない日々に

中国ドラマにドはまりなので言わずもがなですが、ここしばらく創作から遠ざかっています。自分の中がカラッカラで、何かを書く気にならないの。
期限までに仕上げなければ…と、常に臨戦態勢なのに、進捗は遅れっぱなし。焦って自分を追い詰める。でも、できることは限られていて、やってもやってもできないことがある。できることに逃げてしまえば本質を見失う。自分が表現したいものとは別のものが出来上がってくる。
自分が何をしたいのか、どうしたいのか、なにができるのか…何もかもがわからなくなって途方に暮れる。いい年してオマエはまだ途方に暮れてんのかいな、と自分で自分に呆れ果てる。結果ばかり急いで見当違いのところを歩いていて、ハッとして立ち止まる。でも次の一歩をどこに出していいのかわからない。もう一生、何もできずに私は終わるんだろうなぁという気持ちがどんどん嵩を増してゆく…

…という日々からの逃避で中国ドラマを見始めたのですが、これが予想外にいい方向に効いたというか、忘れていた感覚を思い出させてくれました。
夢中になれる場所があると、人って安心するものなんですね。それは自分の中の拠り所のようなもので、その情熱と愛情を両輪にして他の場所へも走っていけるようになるの。
「好き」がある時、人は強い。
それを私はここのところマッチポンプでやろうとしていて、疲れてしまっていたのです。
夢中になれるものを作ろう、と思っていても、なかなかできない。夢中になれるものは、あれこれ考える間もなくすでに夢中になっているはずなのです。そしてそういうものこそ、真髄なの。

今日から新しい年度の始まりです。
でも、あまり目標とか掲げないことにします。
今年は実は私の生活が大きく変わりそうな年で、そのことで今も、これからも、気持ちが落ち着きません。仕方がないことだし、いつかは通らなければならない道なのだけれども(要するに子どもたちの巣立ちというやつです。ううう(涙))、考えるたびに気が滅入る。祝福する気持ちより先に自分の寂しさが立ってしまう。情けないこと。でも、どうしょうもない。元気なんか出ないときはとことん出ない。
そんな時は無理せずエンタメに逃げることにしました。
自分で作れればいいけれど、無理ならどんどん楽しみのために時間を使ってゆくことに(そしてそのことを悪びれないように)することにした。まず自分に栄養を!

今日はレスリーの命日です。あの頃、私が夢中になっていた場所に、今また戻ってきてる感じがします。何度も離れては戻ってきた。これで何度目だろう?

いや、戻ってきたというわけではないのかな。私はずっと、中華明星迷である自分がどこかにいるんですよ。潜っているか浮いてくるかの差だけです。また浮いてくるターンに入ったというだけのことかも。
私を最初にこの世界に導いてくれたのはレスリーでした。レスリーがいなかったら、私はここに花が咲いていることなど知らずに生きていたのです。昔のブログにセンチメンタルな昔話を書いてます。私にとって忘れられない思い出です。

 

www.freakyflower.com

あれからもう19年か。あっという間だなぁ。
人生は一炊の夢の如く。
一炊の夢なのであれば、もう何も思い煩うことなく、心の赴くまま生きてゆきたい。「好き」の気持ちを大事にしながら、ときめいていたいと思います。