ダンス!20世紀初頭の美術と舞踊

企画展ポスター。写真は舞台劇「鷹の井戸」の部分(古川成俊)。

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先日、表題の企画展を栃木県立美術館にて見てまいりました。
「日本の1910年代以後からほぼ戦前までの美術を、舞踊とのかかわりから再考する」ものですが、企画展のリーフレットの冒頭にはこう書いてあります。

「近代の前衛的な芸術家たちは、ダンスに生の喜びを見出し、新しい身体観をそこに重ねていました。それは西欧を例に取れば、ロシア・アヴァンギャルドがロシア・バレエと近い関係にあったり、ドイツ表現主義が「ノイエ・タンツ」と呼ばれる舞踊の旗手たちと深いつながりがあったりしたことが象徴しています。」

ほらほらほらほら♪何かステキな予感がするるるーん。
そうなんです。この企画展には、当時、ノイエ・タンツの日本一の心酔者だった村山知義のブースがあるのです。題して「村山知義とニディー・インペコーフェン」!
こりゃもう、TOM(村山知義のことね)のファンとしては見逃せないわけなのだー。ということで、いそいそと出かけました。

企画展には計6つのブースがありまして、以下がその一覧です。

1:1910-20年代の美術家と舞踊
2:村山知義とニディー・インペコーフェン
3:「シトゥルム木版画展」と斎藤佳三の舞台美術
4:久米民十郎と伊藤道郎の「鷹の井戸」
5:石井漠と写真家たち
6:1930年代ー高田せい子と崔承喜

1:のブースにはいろんな作家の作品(小品ですね)が出品されてました。萬鉄五郎や、長谷川潔川上澄生竹久夢二などなどの「ダンス」とか「肉体的躍動」をテーマにした作品が集められてました。竹久夢二のは有名な「セノヲ楽譜」の表紙絵とか。

1のブースを見終えて、次のブースへの角を曲がった途端、アタシは息を呑みました。
眼前にあったのは「ノイエ・タンツェを踊る村山知義」←これこれ、以前(6月)に書いた日記に載せた写真。
そう、これこれ!↓↓

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この写真の等身大(より若干大きいかもな)のパネルがね、壁にドーンと架かってたんですよぅぅうるうる。
目にするなり、あまりの感動に「ひーん」と叫んでしまったよ。インパクトあった。
ブースにあったのはマヴォの機関紙と、あとはインペコーフェンの伝記本&写真とか、要するに大したことなかったんですけど(^^;;、このパネルの衝撃が強くて、満足しちゃいました。

ちなみにはじめて知ったのですが、この時TOMが踊っているのはノイエ・タンツェの中の「フムメルのワルツァ」(フンメルのワルツ(?))だったということです。
ニディー・インペコーフェンというのは、戦前のベルリンで活躍した少女舞踊家です。
あまり資料が残ってないようですが、当時は爆発的な人気があったとのこと。
TOMは『中央美術』の1923年7月号での「ダンスの本質に就いて」という寄稿文の中で彼女への傾倒ぶりを
「頭を真直にイムペコーフェンの中へ突っ込んでしま」い、「夜昼も私は彼女のダンスに駆られ通した」
と書いてます。(企画展資料により)

そして、TOMの初めての個展「意識的構成主義的小品展」(1923年)の献辞もまた
「ニイツディー・イムペコーフェンと”押し付けがましき優美さ”とに捧ぐ」だったのでありました。

ああ、愉しいわ~(*^^*)。
村山知義の情熱、というか、「萌えたら一直線!」みたいなところって、見てるだけで嬉しくなるなぁ…としみじみシアワセに。
パネルに写ったTOMの夢中な横顔を眺めていたら、なんだか凄く元気が出ちゃいました。

さて、その他に印象的だったものは、以下の3つ。
1)川島理一郎の絵日記…1915年のパリに藤田嗣治とともに滞在していたときの日記。そのもののデキが素敵なのに加えて、フジタに興味があるアタシにはさらに嬉しい作品でした。川島理一郎は栃木の人なので、県内美術館に所蔵品が多いです。
2)斎藤佳三の舞台芸術…「天才」を感じるデザイン能力にオドロキ。
3)久米民十郎…この人の存在は謎が多いので、よく知らないのだけど、今回ちょっと興味持ちました。今後、注目したいですね。

その他、崔承喜の舞台とか石井漠のダンスパフォーマンス(1926年の「マスク」とか)のフィルム上映などもあり、とても充実した企画展でした。
ああ~~満足。
こんなイイ展覧会が東京でなくてウチのような地方都市で企画されてるのが嬉しいッスね(^-^)♪