「マヴォ/メルツ クルト・シュヴィッタース/村山知義~日本におけるダダ」展

先日、ここのブログでも「私のためにやってくれるのか」(みたいに嬉しかった)と書きました「マヴォ/メルツ クルト・シュヴィッタース村山知義~日本におけるダダ」展へ行ってまいりました。
初夏の光あふれる上野公園を抜けて、大好きな人の足跡をたどりに行く時の気分はまるで少女のよう(笑)。
場所は東京芸大の陳列館。2階の一部屋のみの小さな会場です。ちなみに無料。

展示室2階の一室は、柔らかな光に溢れていました。
なんだかそこだけ日常から乖離したサンクチュアリの雰囲気。
学芸員のほかは誰もおらず、喧騒を逃れた静けさの中、たぶん前衛芝居の上演時に使われたであろう不可思議な言葉による旋律がテープで流されていたんだけど、それがものすごく「浮世離れした」感じを演出してました。
展覧会というのは「場の空気」ってのが要(かなめ)なのですが、これは上々の演出だと思いました。
入り口から正面の壁面を見ると、見慣れた「ノイエ・タンツェ」を踊るTOMの写真。

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マヴォ関連の資料が並ぶ陳列ケースには、既知の資料ばかりがありました。所有者はギャラリーTOMですから、それも当然か。でも、何度観てもトキメクものばかりです。
それと、築地小劇場関連の資料がいくつか。初見のものもわりとありました。こちらの所有者は島田安彦氏という方です(俳優座の演出家の方のようです)。
それと、文章が載った雑誌や書籍。舞台の模型。などなど。


メルツ関連の資料はいずれも始めて見るものですがあまり興味はわきませんでした。
そもそもメルツはマヴォと同じようなドイツの前衛芸術家集団だったわけですが、両者につながりがあるわけでも人的交流があるわけでもないので、なんだか併設されていてもピンとこなかったですね。
この展覧会は「日本におけるドイツ」の記念事業の一つなので、メルツと絡ませようということになったんでしょう。
こういう試みも面白い対比ではあると思いますが、いかんせんマヴォの活動というのも実際はすごく泡沫的なものなので、これを世界的な大きな潮流のひとつのように考えるのもちょっと違うような気がするんですよね。ま、主観ですが。

とにかく本当に、小さな小さな展覧会でした。
おまけに、すでに見たことのある資料が多くて新しい発見などはほとんどありませんでした。
それでも、私はこの展覧会を観ることができて、とても満足でした。

展覧会に足を運ぶという行為は、「場」に踏み込む行為だと思うのです。
かつてそれを創った芸術家の魂が在る「場」に行く、ということ。
TOMの情熱や、あの時代の息吹きや、理屈臭い「芸術」への渇望や。そういったものが渦巻く場所。資料の印刷の掠れにも、何気ない広告の住所ひとつにも、彼らと同じ空気を感じる瞬間がある。
見慣れた資料を目で追って、大好きな柳瀬正夢の名前を拾う、そのときの心が暖かくなる感じとか。
今は亡き芸術家の魂は、作品の向こうから時を越えて私にいろんなことを語りかけてくれます。
たとえ未知の作品がなくても、その語りかけには未知の自分に出逢える可能性があるような気がするのです。だってそのつど感じ、思うことがあるからね。
その「対話」が、何よりの展覧会の楽しみです。
ということを、好きな作家の展覧会にこうして佇むと、より一層しみじみと感じますね。ぶっちゃけ、こんな何の作品もない印刷資料ばかりの展覧会でこれだけ嬉しがれるのもこりゃファンだからとしかいえないわけで。それは芸術作品を見て感動するという純粋な心の震えとはかなり意味が違うと思うんだけどもね(汗)。「思い入れ」というのもまた感興が増幅する秘密兵器なのだ、ということでどうかひとつ。

図録の代わりに(?)この展覧会に寄せて「村山知義とクルト・シュヴィッタース」(水声社)という本が出版されてるはずでして、実はその本を買うのがこの展覧会のもう一つの(かなり大きな)目的でもあったのですが、当日、会場では買うことができませんでした。
行ったのが土曜だったんで、「担当教授がお休みのためお売りできません。」と言われちゃって。今後、書店で売るかどうかも不明とのこと。
「月曜になったら教授あてに電話してください」との言葉にうなづきながら、電話番号を聞いてメモして帰ってきましたが…結論から言えばなんのことはない、ネットで簡単に(普通の書店から)購入できました。早く言ってよ…。
とはいえ、そこに至るまでがまたイロイロありまして。なぜか小樽の喜久屋書店で買ってしまう羽目に。なんだかなー。送料ばっかりかかっちゃったですよ。どうでもいいけど、私的にはすごく「入手困難」な本でした。もうちょっと芸大教授も商売ッ気を出して欲しいです。

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図録が出しにくい(「作品」らしいものが少なく、展示自体も少ない)というのもあるでしょうが、どちらかというと、「マヴォ」の芸術運動は作品主体というより理論としての側面が大きいので、こういった論集が出るのはとても嬉しいです。

この企画展では同時に(ハンス・リヒターやマルセル・デュシャンなどの)短編映画の上映プログラムもあったのですが、日程が合わずこちらは見られませんでした。ま、私の場合は観たいものがピンポイントなので(笑)、これでOK。