「MAVO」その後。

先日ここに書いた戦前の前衛芸術家集団「MAVO」に関して、相変わらず興味の尽きないワタクシなわけですが。
思いがけずニフ時代のお知り合い、「黄秋生飯店」の周太太さんが最晩年の村山知義さんと知己でいらしたことが発覚(すごいっ!)、演劇活動をなさってた当時の村山氏の様子を教えていただいたりしました。非常に嬉しかったですっ。謝謝!周太太さん(^-^)
いやー、別ネタでも何でも書いてみるもんですね~。

さて、そして今、私はさらに深入りしてMAVOのメンバーの一人、柳瀬正夢(やなせ・まさむ)に夢中だったりします。素晴らしい評伝を読んだせいもある。
井出孫六・著『ねじ釘の如く~画家・柳瀬正夢の軌跡~』(岩波書店)。

ねじ釘の如く―画家・柳瀬正夢の軌跡

ねじ釘の如く―画家・柳瀬正夢の軌跡

 

 これはかなりよくできた評伝でしたよ。
作者の、対象に対する愛情が強く感じられるし、何よりもこの人、土地の匂いを描くのが上手くてねー。
柳瀬正夢の育った大正期の松山や門司の様子が、ものすごくよく書けてるの。で、それは主人公の輪郭を骨太にする。
評伝って、事跡と本人の思索を追うだけでは不十分で、本人が立っていた「場」とか「時代」が描けないとダメなんだなぁーってのを強く感じたりして。....話、逸れてますね、すんません。

柳瀬正夢(1900~1945)は、15歳で院展に初入選した「早熟の天才」であり、稀代の風刺漫画家でもあります。
油絵から漫画、イラスト、装丁に至るまで底知れない才能を発揮したスゴイ画家。
このあいだ私が訪れた美術展でも数点の風刺漫画が展示されていたのですが、その筆致は軽妙洒脱、センスも抜群で、一目で「うわ。この人、めっちゃ巧いなぁー」って惚れ惚れしちゃうような作品でした。筆が、すごく物慣れていて、呼吸するように絵を描いている感じ。
デッサン集(岩崎美術社)などでも、あらゆる種類の線を自由自在に描けるとんでもない才能が垣間見られます。
絵を描かないと、生きられない人って感じ。まさに画業の申し子、ですねー。
柳瀬正夢の創作に対する情熱は、造形的な表現工夫のみにとどまらず、現実の社会に対する批判によって勢いを持ってゆくのですが、それはまた戦前の社会主義運動の興隆と合致し、時代の空気をそのまま後世に残してます。そう言った意味でも貴重な存在ですね。

 

 

余談ですが「MAVO」の活動は、実際問題として当時はほとんどウケなかったようです。浅草伝法院での初回展覧会には全く客が来ず、メンバー全員かなりショックだったとか(笑)。
前衛というのはやってる当時は理解されなくても、後世からみると、まさにそれがその時代を象徴していたりするから面白いですね。