「ヨハネス・イッテン-造形芸術への道」

標題の展覧会に行ってきました。
京都→宇都宮→東京、と巡回しているらしい。新年には東京の国立近代美術館で開催されるようです。
つくづくわが町の美術館は日本でも屈指の選択眼をもって素晴らしい企画展をするなーと思うね。ここってね、常設でも私好みの時代の作品が多いんですよ。1900-1940くらいの前衛美術作品が。ラッキーだなぁ、と思います。館長の好みが印象派とかじゃなくてよかった(^^;)。
この展覧会も日本では初めての試みだそうです。今までイッテンの作品展は一度も開かれたことがないんだって(本国のドイツでは人気が高いらしいけれども)。


ヨハネス・イッテン

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ヨハネス・イッテンはバウハウスの美術教師として知られるスイスの画家です。
バウハウス、ってのは1919年にドイツのワイマールでワルター・グロピウスによって創設された造形学校で、理念は「人口と自然の調和」。W・カンディンスキーやP・クレーなども教鞭をとっていた「造形の名門校」であります。モダニズムの殿堂ともいわれてますねー。
イッテンはそこの基礎科教授を務めていまして、カリスマ的な指導者とか、神秘主義者とか言われていた存在で、ちょっと敷居が高いような(いかにもマイスターというような)存在かと思いきや、実のところはすごく実際的で探求的な心技両面にわたる良き造形指導者だったのだなぁと、展示を見て感じました。才気走った芸術家、というより、どっちかっていうと研究熱心なセンセ、という感じ。
つまりそれなりに優等生でツマンナイ絵を描くなー、って感じでもあるんですが(爆)。

先生ですから、いろんな作風を試してるんです。当時流行のデコとか未来派とか、野獣派みたいのとか、キュビスムとか、ダダっぽいのまで。そのせいかイッテンの素顔で描く絵はどんなものなのかわからないのね。あんな絵もこんな絵もあるよ、でもみんなテキストみたいってのが正直なとこ。
子どもを連れて説明しながら見せたんですが、自分でもスラスラ説明できるから驚いた。それだけテキスト(イッテンの作品)のコンセプトがわかりやすい、ってことですね。
きっと、こういう芸術家って必要なんだと思います。自己主張が激しかったり、先に先に進もうとあがく芸術家ばかりでなくて、その表現を誰もが理解できるところにまでわかりやすくおろして指導する人は大切。

イッテンの造形や色彩の理論を図説した素描やカラーパターンの数々は、私も美術予備校時代に習ったものと同じです。つまり現在でも画学生に受け継がれている技法の理論の基礎を体系的にまとめた人がイッテンだということなのかな?
でも、彼のその緻密性や構造力やノウハウってのは、ある意味「芸術は技術として教えるものではない」という思想を持っていた校長のグロピウスの理念とは衝突しがちだったようで、後にイッテンはバウハウスを辞めて自らイッテン・シューレという造形学校を創設します。


前衛芸術の殿堂:バウハウス

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この建築もW・グロピウス。
でね、このイッテン・シューレという造形学校では、なんと!竹久夢二が教鞭をとっているんですよ(1932-33年。日本画の授業です)。
イッテンは東洋の思想や美術にも大変興味をもっていました。墨を用いて一気に瞬間的なる自然の美を描きだすという、「省略の」技法とそこに宿る東洋の精神性に魅せられたようです。(なんていうかな「一期一会」みたいなことか?)それらをイッテンに詳しく紹介したのは夢二だったんですねぇ。
ここで日本画を教えるかたわら、夢二はイッテンの影響を受け左翼的思想やユダヤ人に対する救済活動に傾倒してゆきます。当時のベルリンはナチスが台頭してくる動乱時代。33年にはバウハウスナチスによって閉鎖に追い込まれました。
あの夢二がそんな時代に憤り、社会主義活動に関わっていたなんて、少女趣味で恋愛過多でナヨっとしたイメージが強い向きには、ちょっと驚くよね。もともとは「平民新聞」で挿絵を描いていたくらいなので、(左翼化するのも)まるきり意外でもないかもしれないけど。

そんなこんなで、イッテンの描いた作品、テキスト、それを元に製作された生徒たちの作品、それから夢二の作品などをずらーーっと見てきました。ま、これはこれで良かったのですが…私が今回嬉しかったのは、常設展の方かも(^^;)。
だってねー、アタシの好きな村山知義の作品があったんですよー常設に。今まで見たことなかったし、常設カタログにも載ってなかったと思うんですが、新しく入ったのかな?見落としてたのかもしれない。
題名は「赤い着物の女の子」。作品は油彩ってこともあって(TOMの油彩はそれほど固有の魅力が現れていないと、個人的には思うんですが)、とにかく未来派の「わけわかりません(涙)」って感じの絵なのですが、やはりそのインプレッションは強かったです。色彩の力とか、曲線の奇妙さとか。勢いがあるんですよねぇ。情熱の人だ。
思う存分立ち止まって堪能しました。
(どうやって見るんだろうなぁこの絵は?)と、首を左に傾けたり右に傾けたりしているうちに、実に楽しくなってきました。これが芸術を見る楽しさだ!っていうのを心から味わいました。嬉しいねぇ(*^-^*)。
っていうか、もう、どこがいいんだか本当にわかんないんですけどね(爆)。理解できない。
で、そういうものに向かい合って苦闘した挙句、こりゃ「理解」という基準を捨てなきゃ駄目だな・・と思える瞬間が訪れるわけですよ。「理解」という定規で計れないから、じゃーいいやもー感じるままに身を任そう、と。その臨界点みたいなものと出会う時が心地よい。
だから要するに「見たまんま」の具象的画風よりも前衛的な作品のほうにより惹かれるのかもしんない。
それに、TOMが描いたと思うからいいのかも。私の場合は芸術家としてのTOM個人のこと(行動と思想と着眼と人生)に興味があるので、その実像を知る「よすが」として彼の絵を見ているのかも。つまり、作品自体は…基本的には全く、理解どころか共感ももってないのかもしれない…と思ったりも。ははは(^^;)。なんじゃそれ。