「幻のロシア絵本1920~30年代」展

artscapeサイトで、春先にこの展覧会があるのを知り、もんのすごーく観たかったんですが、なにせ会場が兵庫の芦屋(遠すぎ。アタクシは北関東在住者。)でしたので忘れることにしたのですが、どういうわけか巡回での次なる開催地が我が県だったのでありました。
ブラボー!ささやかな念力が効いたか(笑)?
というわけで、足利市立美術館に表題の展覧会を観に行ってきました。

f:id:freaky47:20200415154652j:plain

芦屋の画家・吉原治良(よしはらじろう 1905-1972)のコレクションである1920~30年代のロシア絵本が中心の展覧会で、「絵本」という媒体の性質上、革命前後のロシアの様子(芸術、社会、通念、娯楽、教育など総合的な)がとてもわかりやすく感じられました。
約250冊の展示。
粗末な紙に単純な印刷技術で描かれたページがホチキスで留めてあるだけの簡素な絵本ばかりですが、その中にはキラメクような斬新なデザインや、生き生きとした楽しい躍動感や、対子供に向けた愛情や教育的配慮、未来への夢が溢れているの。
説明書きを見ないでも、「おお!」と吸い寄せられた作品がロトチェンコの弟子の作品だったりして(「食器はどこから?」チチャーゴワ姉妹・画)、私のシュミに触れる作品(=ロシアアバンギャルド系)も多し。
「デパート」「夏」「ツエッペリン」などの本はオシャレで愛らしく、思わず欲しくなった。
ピオネール(児童活動)を描いた本やウラジーミル・レーベジェフの作品もたのしかったなぁ。
マヤコフスキーの本「海と灯台についての私の本」(挿絵はボリス・ポクロフスキー)は、きちんと邦訳されたのもがあったら絶対に読みたいのに、と思った。

革命直後には、みんな未来に夢を持って、それを信じて頑張ってたんだなぁってのが絵本の挿絵からひしひしと伝わってくる。
でも、革命後、その夢はだんだん破れてゆくわけで。スターリンの独裁体制、戦時体制に入ってゆく過程での絵本には悲しいものが色濃く感じられるようになってゆきます。
色彩のトーンも赤色化し、題材も政治的なことばかり。国の政策を色濃く反映したプロパガンダ本が中心となり、自由な表現の道は絶たれ…やがて絵本たちは、物資の不足、芸術表現の規制で豆本と化し、それら数少ない絵本もまもなく完全に姿を消してゆくのです。
屈指の芸術国であるという自負と実績をもったロシアという国が、政治に翻弄され自由な翼をもぎ取られてゆく様子があまりにも痛々しい。

ロシアの絵本を集め、影響を受けた日本人というコーナーでは、吉原治良の他に柳瀬正夢と原弘(はらひろむ。デザイナー。1903-1945)が紹介されてまして、彼らの蔵書、関連作品も展示されてました。
えー。私は柳瀬正夢ファンなので、このブースは特に念入りに観ちゃったね、やっぱり。半分はこれ目的で観に行ったわけですが。
展示ガラスに鼻先をくっつけて眺めているうちに、なんだか泣けてきた。
作品はもちろんそうなんだけど、所蔵品を見るってのもせつないもんなんですよねぇ。
自分の作品やコレクションを戦火にやられないようにいつも細心の注意で隠し持っていた正夢の情熱が、こうして今、私の目の前にある。
遺されたモノ達には、正夢の魂が宿ってるように感じるのです。
蔵書及びロシア絵本に影響を受けて描いたであろう「こどものとも」のページなどからは、彼の叶わなかった夢の欠片を感じてしまって…とっても胸に染みました。
平和を願いながらも空襲で命を落としてしまった彼の、芸術家としての夢や、社会人としての理想や…そういう「夢」。それらはなんだか当時嫌がられた「赤色分子」という言い方とはとても乖離したもののように感じたりもしました。
まぁ、彼が当時やってた活動って言ったら完全に革命や闘争関連プロパガンダだったわけですが…それはあの時代の日本で芸術家(しかも前衛)ならではの側面が大きかったからだと思うのだけど、他にもこういった「ロシア(ソヴィエト)の幻影」をひきずってたせいもあるように思う。結局それにも裏切られちゃうんだけどね。
彼らが抱いた「夢のソヴィエト」は、いったいどこに消えてしまったんでしょう。
幻のように跡形も無い。
ロシアアバンギャルドだの構成主義なんて、まさに近年まで「幻」(無かった歴史とみなされていた)だったわけだしねぇ。政治に利用され、あげく陵辱された芸術って感じでね。

今回の展覧会は芦屋市立美術館の起死回生がかかっている展覧会でもあるようです。(吉原治良のコレクションはすべて芦屋市立美術館所蔵)
貴重なコレクションが散逸しないように、どうにか所蔵作品で経営を維持しなければならず、そのためにははるばるの旅も辞さない、ということでしょうか。
栃木の足利での開催が終わったら、次は東京都庭園美術館→道立函館美術館と巡回するそうです。
阪神・淡路大震災以来財政的に苦しいらしい芦屋市ですが、今や美術館の維持さえ危ぶまれているのですね。まぁ、どこもそうでしょうけど。上野の国立博物館でさえ経営状態悪かったら生き残れないという瀬戸際なんだもんね。驚いちゃう。
構造改革」って、いったいなんだろう?と思うね。公共の文化施設にまでそんな試練を与えるのって何か意味があるのか?年金施設のリゾートマンションとは違うのに。こんな政策ってあんまりにもヒドイ。
今や文化の維持は国民の財布にかかってる。政府はまるで高利貸しのような態度で、文化を駆逐しようとしてるような感じ。いつの時代も芸術の敵は政治なのかもしれないね。