宮本浩次縦横無尽@宇都宮 その1

宮本のソロライブ「縦横無尽」へ行ってきました!

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前回と、その前もか…チケット取れてたのにコロナの関係でライブが中止になっていて、本当に久々の生ミヤジです。
以下、思いつくままの記録、感慨、放言をば書いておきます。

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会場へと向かう途中、宵の空に細い眉月が浮かんでいてとても綺麗でした。
自転車をこぎながら「月のぉ~夜よー月のぉ~夜よー」(@「月の夜」)と歌いながら、イイ気分に。
が、会場へ着くやいなや、あまりの人混みに絶句。
蔓延防止の状況下で100%の客入れをするというのを、何と会場についてから知ったのです。
いきなり怖くなっちゃった(汗)。
会場は通い慣れた図書館の隣。
いつもぽつーんぽつーんしか人がいない場所に、信じられないほどの人混みが出現。
怖い怖い……冷や汗が出てくる。
田舎者ゆえの久しぶりの「超密」状態に、心の中で悲鳴を上げながら、呼吸をするのも不器用になりがちになり若干パニック気味に。
いやー。今、ウチのボクちゃんの学校、休校中(リモート授業)なんだよ?二週間も。
そんな状況なのに私、何やってんのだろう…。これでオミクロンもらってきちゃったら、今までの感染防止対策の努力も水の泡じゃんよ……などと思いつつ、ライブ始まる前からどんよりモード。
でもここで帰るのも惜しい。マスクは二重だし(これはいつも)、一言も発しないし、大丈夫だろう、たぶん。と。甘い(汗)。
冬場のせいもあり(コートやなんやかやあって)座席もいつも以上にギュウギュウな感じ。密すぎる。おまけに隣の席の人、後ろの席の人がずーっとべらべらおしゃべりしてる。ひー。

*****

オープニングは「光の世界」。続いて「夜明けのうた」。
すごく雰囲気がいい。宮本の声も最高だったし、光を使った演出がステキ。
客席も、みんな座ったままの静かな状態で、「お!これはいいぞ。このままじっくりライブ聞けるのかな」と喜んだ……のも束の間、3曲目で目の前総立ち。雪崩のように会場総立ち。
ダハ―……立つんかいやっぱり。ガックリ。
途端に私のライブ嫌いの虫が不愉快を総動員してやって来た。
1階席の1桁台なのに(すごくイイ席だった!)後ろのことも考えず立ちやがるんだもんね。立たなきゃいかんという不文律でもあんの?この風習めっちゃ嫌いだ。宮本も昔みたいに「座れ!黙って聴け!」って言って欲しいわ。

ここ、ゼップじゃないからね。宇都宮市文化会館よ。ホールもライブハウスも同じだと思ってるのか。違うだろうよどう考えても。

あのね、目の前立たれたらもうステージ見えないのよ。こっちも立たざるを得なくなるじゃんよ。他人に何かを強制するようなことやるのって普通ダメだろ。なんでライブではこれが普通になってるの。謎だわ。
おかげで視界はガッツリ遮られた。
でもアタシは立たないよ。アンタたちのせいでステージが見えないからって、こっちまで立ったらあとはもう連鎖でしょうが。「あたりまえ」だと思ってるんだろうけど、不本意な話だよ。私は意地でも立たないぞ。
全然見えない!けど!立たない!
……と、密かに固く決意。
やがてお決まりのように会場全体から曲に合わせて手拍子が始まる。
これがまた、すっっごく嫌いだ。なにこれ。お遊戯会か?なんかの無礼講か?宮本の歌に手拍子必要か?いらんだろう!うっっっざ。曲の世界観台無し。
加えて腕振りダンスも始まった。腕ワイプではこっちの視界までワイプされちゃってるからね。
あああ邪魔だーー。アンタたちの踊り見に来てるんじゃねーのよ。しかもハァハァして呼気が粗くなってる!大人数が一斉にハァハァして狭い空間にぐんぐんと熱気が満ちてく。
こうなったらますます立ち上がるわけにはいかない。両隣と顔の位置を同じ高さにしたくない。マンボウなのに。休校なのに。そりゃないわ。
うわーでも周り中が立ってる。居心地悪い。なんでこんなツラいの…
あああああーーもう、ライブってめっちゃシンドイ!
……という、いつもの一連の感情の流れにしっかりはまり込みましたよ。ご愁傷さま。

***

宮本のライブ行くたびに、どうしてこんなに客が自己表現したがるのか、ホントに私にはわからないんですよ。嫌でたまらない。
何かの宗教みたいに一斉に同じ動きをするのとか、曲に合わない手拍子とか、そんなのまったくいらない。邪魔だ。でも、そう思って手拍子も踊りも振りもしない、いうたらスタンディングもしない私のような人間は明らかに異端なわけ。え?もしかして邪魔なのはこっちなんですか?ってな勢い。すっっごい不条理。
だってステージ鑑賞をする立場で言えば、どうしたって向こうの方が物理的に(音や動きが)邪魔なのに、そこに与しない私の方が邪魔者らしいという…そこにいるだけで自分ばかりがどんどん否定されてゆく存在の危うさにシンドさマックスです。
そもそも宮本の歌って、孤独で内省的な精神性の中で生まれてくるもんだと私は思ってて(だから共感するわけで)、みんな仲良く輪になって踊ろうという類のもんではないはずなのに、ライブになると世界観と真逆な行動をとる人ばかりが目に付くのが不思議。ホントに宮本の歌、聞いてんのかこの人たち、と思ったりする。
ロックノリノリイェーイ!なのか。そうなのか。私が間違ってるのか。
たぶんそうなんだろうな。スミマセンですね。お呼びでなくて。
いろんな人がいるということは、それだけ「広い」ということなんだろう。多様性を認めましょうということでしょう。わかってますよそんなことは。
でもなぁ…多様性とはいえ、どこに行っても私、マイノリティなんだもん。ツラいのよ。
きっと宮本も私のようなファンはいらないだろうな、と思うと、独りトボトボとシーンとした静かな森をどこまでも歩いてゆきたいような気分になる。
なんで私はこうなのだろう。なんでこんなにダメなの。

***

宮本はすごく生き生きと輝いていました。バンドもメチャクチャ巧くてビックリした。すごいライブだった。
まぁ、往年の昭和の歌謡曲カバーは、内心「アタシは何を聞かされているんだろう」という感じでしたけど、宮本が好きでやってるんだからそれはもう、いいのよ。とても気持ちよさそうに、見事に歌い上げていたし。ああ、今、ミヤジは幸せなんだろうなぁと思えて、良かった。
宮本と私は同じ年で…こんなにも幸せそうにステージに立っている姿を見ていると、「よかったね!おめでとう!」と心から思うのです。思いきり人生を生きている清々しさが眩しくて、ああ、凄いなぁ、と。同じ年なのに、何という差だろう、と羨ましくも悲しい思いがする。ともすると自己否定につながりがちな複雑な気持ち。
だって、比べたら私は屍だもん。
「なんにもよーできずによー オロオロオロオロ 呆然と立って果てろ屍め」と、かつて宮本が歌ってたあの屍だ(@「奴隷天国」)。「生きる屍」というのもあった(@「花男」)。まさに私だそれ、と思う。
宮本もかつてはこの場所にいた。だからあんな歌が生まれた。もがく人だった。なにくそと思いながら、闘いながら、自分で自分を鼓舞しながら、這うようにしてここまで来たんだろう。50になる手前のインタビューでは「もうどうにも立ち行かないところまでいってた」なんてことまで語っていた。
でも宮本は50を境にガラッと変わった。
考え方や生き方が変わったのは、たぶん人生の流れが変わったからだと思う。その流れを変えたのは、ここまで積み重ねてきた、彼自身のたゆまぬ努力だ。ずっとずっと一隅を照らし続けてきた、愚直で真摯な宮本の「一生懸命」が花開いて、たくさんの人の心に響いたからだと思う。
私はいまだに生きる屍としてウロウロと彷徨っている。若くもないのに、まだこんなところにいる。
ああ、最高にダサいなぁと思う。あまりの不甲斐なさに泣きそうになる。
そんな人間がみんなと一緒に仲良く宮本の歌を聴いて一体感を感じられるわけがないのですよ。そもそもヒネクレテいるのだから。
圧倒的に私は間違っているんだろうな。お前なんかライブに来んな、と言われても仕方がない埒外の人間だ。でも言わしてもらうが、アンタたちも間違ってるぞ。自分を正しいと思うなよ。なんでいつもこっちばかりが「間違ってる」のだ。おかしいだろう。


続きます。