原田マハ「リボルバー」

何を読んでもどこかテキストのようにとらえてしまう昨今ですが、こちらも非常に勉強になる作品でした。

 原田マハさんの作品(特に美術系)は、知的好奇心を満足させてくれるアカデミックなエンタメと言ったものが多いですが、「リボルバー」はそこからまた一歩、さらに高みに行った印象です。
「え!超有名人を扱いながら、ここまでのことが書けるんだ!」という驚きに、勇気をもらえたというか、凄くワクワクしました。(その手法の見事さに、ということね)
ゴッホゴーギャンという世界中の誰もが知っている二人の画家を、パーソナルな内面に踏み込みながら、史実から逸れることなく、しかも東洋人の女性を主人公として物語に仕立て上げることができるというのは驚きでした。妄想と捏造でできている歴史小説(それは歴史小説の宿命というか、前提なのであたりまえのことです)というのとも違う。歴史に一片の操作もつけず、新しい地平を見せることに成功しているのです。小説の可能性の果てしなさを感じました。

画家や史実に対する説明や解説が頻繁に入ることで、話の流れが削がれるように感じる部分もありましたが、そのリズムに慣れてしまえば気にならなくなります。
漫画より解説の部分が多い学習漫画を読む雰囲気にちょっと似てる。
でも、あれは解説も大事なのです。漫画だけになってしまうと、フィクションや想像の割が増えて誤解も生じるし。マハさんがそこに凄く神経を使っているのを感じました。つまり、史実はここまで、という線を常に明確に引いておくことを。

歴史モノを書く時に、かつて実際にいた人物を題材に選ぶとどこまで踏み込んで良いのかわからないものです。ものすごく怖い。
一応、史実とされている部分はそのままでもいいでしょうが、ホントはそこからしても事実とは違うのかもしれないし。あらぬことを書かれて、それがまるで事実であったかのようになってしまい、草葉の陰で泣いている歴史上の人物は多々いることでしょう。

サリエリモーツアルトを殺した(とまではいかなくても、嫉妬して意地悪をした)なんて、一脚本家の作った事実無根の捏造が、今や事実であったかのように人口に膾炙しているのを見れば影響の大きさに戦慄します。その罪は非常に重い。
サリエリはとても才能のある懐の大きな優しい師であったと、ベートーベンなどは語っていたそうですが、多くの人の抱くイメージは嫉妬深くて才能のない意地の悪い音楽家なのです。フィクション(物語)のせいで。ダメ押しで映画でもそんな風に描かれていました。アカデミー賞まで取っちゃったから、あれで決定的になったよね。可哀そうなサリエリ!(彼は私と誕生日が同じなので、どこか他人事とは思えません。名誉挽回を図る人たちの団体もあるようですが、頑張って欲しいものです)
「龍馬がゆく」が出版されてから坂本龍馬が爆発的に人気者になったのなども、イメージアップという逆のベクトルですが、同じことです。フィクションの賜物。

でも、この小説はそういった”歴史モノあるある”とは一線を画しています。
ちゃんと人物の存在の深くまで踏み込みながらも、史実を曲げずに想像の幅を広げ、巧い具合に落としどころを用意している。
ここまでやって大丈夫なのか?という思い切ったアプローチをかけながら、終いには無傷で帰ってくる…しかも心温まる土産(読者に、ゴッホゴーギャンへのより深い興味を抱かせる)まで持って…という清々しさは、対象となる人物たちへの理解と愛情の深さがあればこそなのでしょう。
読後、無性にゴッホの絵を見たくなりました。思う壺です。