「窮鼠はチーズの夢を見る」

朝ドラ「おちょやん」での成田凌がステキすぎて、主演の映画を見る、というね。わかりやすいハマりの道、第一歩(いや、ハマらんかもしれんけど)。

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同名BL漫画の映画化、だそうで。
共演は関ジャニの大倉くんです。大倉くんはアイドルなのに「そこまでするのか!」という領域の演技をしていてビックリ。ファンだったら思いもかけず凄いもの見た!という気分になると思う。
大倉くん演じる、流されるように主体性なく女を渡り歩くクズ男・恭一と、成田凌演じる、1人の相手を思い続けて狂気の域にまで踏み込みそうになっている拗らせ男・今ヶ瀬が、迫ったり逃げたり、くっついたり離れたり、恋なのか恋じゃないのか、男を選ぶのか女を選ぶのかなどとすったもんだする話。
成田凌は目の表情が実に良い!身体的な動きも役に添ってて雄弁で、ホントに上手い役者さんなんだなぁ~と。見惚れちゃった。
大倉くんは、自我がフラフラしてて流されてゆく曖昧な存在感をうまく醸し出してました。まぁ、クズなんですけどねw
まるでサンクチュアリのような部屋や、灰皿やジッポーやスツールなど小物の描き方も、”二人でそこにいることの必然”といった雰囲気を濃く醸し出していた。どういうわけか女性たちがことごとく魅力無く見えるのも、計算されてるのだろうな。(女優さんたちが魅力がないという意味ではないです。むしろ逆)

映像も綺麗だし、心情描写も悪くないんですが、根本的に好みではないのは、BL特有の偏りのせいかな、と感じます。
どうも性行為に重きを置きすぎているのが馴染まないんですよ個人的に。数多の異性間の恋愛モノで性行為を中心に展開させる作品って、そうは無いように思うんだよね。もっと気持ち優先じゃない?実際、恋をしても性行為の事なんかそう考えないよ?(個人差があるかもわからんが)。むしろ性行為が中心に回り始めると、それは恋愛ではなくて執着や欲望の話(簡単に言うとポルノだわね)になってしまう気がしてしまうんだけど、どうなのそれ。
BL作品はとにかくそっち方向へ大幅に舵をきりがちなものが多いのがイヤ。イヤすぎて、以前自分で書いてたBL小説(のつもりはなかったけど同性愛もの)では絶対にヤらない二人の恋を書いてた。プラトニックラブの地平をどこまでいけるか、っていう。あれは明確に私の、世の中のヤるだけBLへのアンチテーゼでした。てか、単純に私の中で性行為と恋愛はつながってないのかもしれなくて、自分なりの”萌え”がそこだっただけなのだろうけど。
なので、ヤりたくてヤりたくて…といった今ヶ瀬と誰とでもヤっちゃう恭一を見てると、「何かの依存症?」って、どこか遠く感じてしまう。感情移入し難い。病的にさえ見える。
描写の中にハッテン場とか出てくるけど、それも誤解を生む一つだと思う。ゲイの人は、ああいうところで貪りあう、みたいな印象操作にも思えてしまう。

違うと思う。同性愛者も異性愛者と同じように恋をする人が大半なんじゃなかろうか。つまり、性行為よりも気持ちを優先に、ちゃんと相手を想う人、が。同性愛者だからと言って、同性だったら誰にでも欲情するわけじゃないでしょう。異性愛だろうが同性愛だろうが、人を想うことにかわりはない。同性愛がより肉体にこだわるなんて変な話だと思う。ジェンダーと性指向は別の文脈でなくてはならないのではないかな。

まぁ、でも世の中いろんなのいるからな。誰とでもホイホイ性行為できちゃう不倫もセフレもウエルカムな人種もいる。その人たちの「恋愛」は私の思い描く「恋愛」とはたぶん全然違う。恋愛にセオリーなんかない。でも、同性愛というだけで(BLという括りだと更に)画一的な捉えられ方をしていることは確かな気がする。

とりあえず結論としては、成田凌は心の動きを表現するのがとても巧い役者さんなので、もうちょっと精神性の高い…というと変だけど、すぐに肉体で回答を得ない役などを見てみたい!ってことでしたー。


9月11日(金)公開/映画『窮鼠はチーズの夢を見る』60秒予告