あなたの歌を待っている

ミヤジのインタビュー記事を読んで、なんだかジーンときてしまった。
時々ミヤジの真っすぐなところに勇気づけられる。同じ歳の人間として、すごく共感するところもある。

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この中に出てくる「もう時間が無いから(今やっちゃうしかない)」という感覚は、私自身日々ひしひしと感じていることです。人生なんていつでも見切り発車するしかなくて、準備万端にしておきたくてもとてもそうはいかない。でも、そんな中でも進んでいかなくちゃならない。そういう感覚。
宮本なんて何もかもうまくいってるくせに何言ってくれてるんだ、って気持ちにもなるけど、彼でさえこの感覚を持っているというところに、ある種の奥深さを感じますね。つまり人間、どんな立場でも何をなしてもどんな成功を収めても、こうじゃなくてもっとできるのになどという不全感のようなものを抱えてたりするのかもしれない。理想が高いのか、はたまた何かが足らないのか。何が足りぬやらこの俺には…か。
ミヤジの言葉がいちいち気になるのは、立場が違っても考える指向性が似ているからなのだろうと思う。だから私はミヤジの作った歌が大好きなのよ。胸に響く深度が違う。(だから歌手として他人の歌をカバーしているのには全く興味は無いのです)

そんな中でも唯一、ずっと気になっていた(相容れない感じがあった)のが宮本くんの「男」に対するこだわりで。私から見るとそれは単純に子どもっぽい事であったし、あれほどまでにいろいろなことを考える宮本が、どういうわけかジェンダーへのこだわりだけ突出して過剰だったのには、何かわけがあるのかもしれないとまで想像したりもしましたが、思うに女性を知らないせいなのだなぁ…と今ではなんとなくわかります。(それは裏を返せば男性をも知らない、ということである)
異性を知るというのは異性と(異性として)お付き合いするということではなく、互いが自分と同じ人間だと認識することからはじまる(もっと言うと、そこをスタート地点としてさらに男女の差を認識する)ことで、ジェンダーレスになったという今のミヤジがそこの地点まで行っているかというとまだ覚束なくて、せいぜい”女性の気持ちがわかるようになった”とか、そういう地平に立ってるだけなのかなとも思うのだけど、それだけでもかなりの進歩で、そのことを明文化して臆面もなく語れる彼のピュアさは相変わらずで、そういうところが真っすぐでいいなぁ、なんて思わせてしまうのが天性の才能です。憎めないんですよね。

宮本くんとジェンダーに関する私の思いは以前も書いています。

 

www.freakyflower.com

 

ここでも書いているように、私は何もミヤジ対して要望はないのです。女の事なんかなにもわかってないなぁと感じながらも、それでいいと思ってる。変に理解しようとしたり、気を遣って欲しくなはいの。それで宮本らしさが削がれてしまう方がイヤなので。
でも、こちらのこういった気持ちに気づいては欲しいな、とどこかで思ってて、それがやっと最近になって叶ってきたかな~というね。嬉しいのですが、あんまり迎合しなくてもいいよ、あなたらしさはそんなこととは関係なくあるのだからね、と逆にやんわりと押し戻したくなる感じもあります。

カバー曲だろうがソロだろうがバンドだろうが、楽しくこの世界にいられるのであれば幸いなことですが、私の個人的願望としては、今のミヤジが作った歌を聴きたい。
最近ありがちだった頑張れソングじゃなくて、もうちょっと文学的な域まで練ったものを出してきてもらえないでしょうかね。名曲「偶成」のような、あるいは「なからん」のような、もうどうしてこんな曲が書けるのだろう!という衝撃を再び与えて欲しい。50代のミヤジが作った、心の奥底から取り出してきたような歌が聞きたいのです。たぶん多忙な毎日からは生まれないものかもしれない。でも、そこをなんとか。期待しています。