芸術選奨文部科学大臣賞受賞に寄せて

ミヤジがすごい賞を獲りましたよ!

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すごいなぁ。どんどん遠くに行ってしまうわ。
いや、最初から遠いのだけど…
って、そうか?そんなことはなかった。それは違うわ。
宮本はすごく近くにいた。ほぼ私と変わらぬ場所で寄り添うように、いた。
ぼんやりと空を眺め、コタツにくるまって鳥の声を聞き、火鉢の前で鴎外を読み、古書の背表紙に未来を描いたり、世の中ビックリすることばかりだと思ったり、どぶの夕日を見るために生きているのだと気づいたりしながら、同じところにいた。…と思っていた。
でも、最近はすっかり立派になってしまって、華やかな活躍ぶりを微笑ましく思いながらも、傍にいてくれたはずの人がいなくなってしまったようなうっすらとした喪失感を感じてた。

50歳を過ぎてソロ活動をするようになり、いろんな人とコラボしたり、TVによく出るようになったり、急にオシャレになって指輪やハットや色のついた服を嬉々として身に着けている様子は傍目から見てても楽し気で、イイトシしてからいろんなことを始めるのも悪くないと思わせてくれた。まだまだ頑張れるんだよ!ってことを身をもって知らしめてくれているようで、すごく励みになった。
その姿勢は本来の宮本からブレたわけではない。行きたい場所にやっと近づけたのだろうな、と思った。見える景色が変われば、気持ちも変わる。それは自然で、素直な宮本らしい反応は、やはり可愛らしいのだ。そのままでいい、と思わせる一途さは、微塵も削がれていない。

でも、なんだろう。私が好きだった宮本の歌は、最近トンと歌われなくなった。
今の宮本には、どこにいったらいいのかわからない者たちに向けた歌はもう歌えないのかもしれない。すでに違うステージに行ったのだろう。
宮本はこれまでもずっと「売れて」いた。カリスマだったし、多くの曲を生み出す天才だった。
でも、彼自身の自己評価はそうでなかった。そうでないから、必然的に足掻きながら生きる人間として歌い続けていて、その”いつか、もっと”という不全感のような思いが、同じように自分を不甲斐なく思っている者たちに寄り添った。寄り添った…というよりも、彼は先駆者だった。宮本はいつも「誰かの事」ではなく「自分の事」しか歌っていなかったが、それ故に、自分をダメだと嘆きながら果てしない道を独りで歩みゆく者たちの先頭に立つ人であった。

頭を抱えながら、どうしたらいいんだと悩みながら、それでも「頑張ろうぜ!」「行くぜ!」と叫びながら、立ち止まることなく歩き続ける。ついてゆく私たちは大いに励まされたが、当の本人はさぞかし苦しかったろうと思う。
あの頃に比べ、最近の宮本はとても幸せそうに見える。自分の好きな歌を、好きなように歌う。歌そのものの持つパワーに惚れこんで、その気持ちを伝えようとして歌っている。
どう、これ、すごくイイでしょう?大好きなんですよ、この歌。…そう言う時の表情は実に幸せそう。
遠い日の記憶をかき集めているかのように、昔懐かしい歌を精魂込めて歌いあげる。

どの歌も、懐かしい。風景が時代の感触を伴って浮かんでくる。同じ歳だもん、その感覚はよくわかる。
歌が好きなのは承知の上だ。昭和の歌謡曲が大好きなのも知ってた。そういうことをわかったうえで、それでもずいぶんセンチメンタルなことをするなぁという印象だった。宮本は私よりもずっと年をとってしまったのかもしれない、とふと思った。苦労したのだな、と。他人が理解できないくらいの苦労をしてきたんだ、と。あんな細い体のどこにあれだけのパワーがあるのだか不思議だったが、まさに「身を削って」歌ってきたんだと、今更ながらに思った。
彼はまたリアルに”大黒柱”でもあったのだから。
バンドメンバーの生活を支えるのは彼の楽曲と歌声で、それが途切れたら、皆が路頭に迷うという生活を30年もの間、黙々と続けてきた。宮本以外は皆、家族もいる。大勢の生活が、蚊トンボのように細い宮本の肩に全てかかっていた。その責任の重さたるや!想像するだけで眩暈がしてくる。よく逃げなかったもんだと思う。
宮本はあんなにも自分しか見えていないような歌を歌いながら、真実はリアルな生活者として、長きにわたり他者の生活を抱える責任を全うしながら創作し続けてきた偉大なる人なのです。そのことを絶対に忘れてはいけない。寄り添ってもらっているような感覚で聴いていたたくさんの曲も、そんな苦悩の中で生まれていた。凄いことですよ。凄すぎて涙が出てくる。

それをまたやってくれとは…言えないよねぇ。

今の宮本が、楽しくカバーを歌うことに、私には一片の意見もない。やりたいことを自由にやれるようになって、よかったなぁと思っている。
でも、カバー曲を歌う宮本に、私はびっくりするくらい興味が無い。宮本自身のことは大切に思っているから、カバーを歌うことが彼自身にとって楽しければいいと思うし、売れればいいと思うし、評価されたら嬉しいと思う。でも私は特に聴きたいとも思わない。いいも悪いもなく、単にそれは私が宮本に求める楽曲とは違うからだ。
私は宮本の作ってきた楽曲に対する最高のリスペクトがあるからこそ、カバーアルバムには興味が無い。私の聞きたいのはこれじゃない。当然ながら宮本の作った歌が聞きたい。
宮本はカバーを歌ってヒットする歌手「ごとき」じゃない(強い言葉だけど、あえて言う)。もっともっとずーーーーっと才能があるソングライターなのだ。だから、あのアルバムで賞をもらっても…という歯がゆさも正直ある。今まで彼の何を見てきたのだ?
そんな思いを胸に抱えながら…それでもきっと素直にとびきり喜んでいるであろう宮本に心からの祝福を贈りたいと思います。
栄誉ある芸術選奨文部科学大臣賞受賞、おめでとう!