「エール!」の終わりに

朝ドラ「エール」の最終回を見て朝からボロ泣きして、その感動をTwitterに書こう!と開いたら、(ハッシュタグではなく自分のホーム画面で)タイムリーにつぶやかれる朝ドラ批判の数々に面くらい、結局自分の思いはつぶやかず…どころか、盛り上がってた気持ちにも水を差され、なんも悪い事をしていないのに「お前は間違ってるよ。浅はかだねぇ」などと言われているようで、思いっきりしょんぼりしてしまい、すごすごと退出した。
でも、よくよく考えてみると、Twitterで声のでかいヒトの言うことに気圧されて自分の思いを吐けなくなるなんてバカバカしい。なんという気の弱さか!と自分が情けなくもなる。それでもあんな誰もが指一本でスイスイと人の言葉を飛ばしてゆく無慈悲な場所に何かを言う気にもならないので(たぶんこの世で一番私の存在価値がない場所があそこだと思う。それに耐えられないんですよ。存在の耐えられない軽さに眩暈がする)、負け犬よろしく自分のテリトリーに引きこもって言いたいことを言う。

今日の「エール」の最終回、とてもイイ演出でした。
ああして最後に夢のように時間が駆け戻る感じ、最高に好きだった。なんかちょっと「初恋の来た道」みたいな終わり方。←この映画も何度見てもボロ泣きする。好きで。
Twitterでの批判はその後に主人公たちが素の演者として番宣をした、ということに対して「物語への冒涜」というニュアンスでのものが多かったのですが、それももうこのご時世に見合ったものだと思ったし。演劇なんかでも最後のカーテンコールは現実的なものでしょ?死んだはずの人間だって笑顔で出てくるじゃないの。それ見て「物語の世界観崩れたわ」って思う?まぁ、人の感じ方はそれぞれだし、感想を述べる自由は誰にでもあるのでいいんだけど…
コロナ禍で思うように撮影も進まず、しかもオリンピックに合わせた題材だったのにそれも使えず…と制作陣のご苦労はいかばかりであったかと同情しますが、案外うまい具合にまとまっていて素敵なドラマでした。
テイストとしては「スカーレット」より好みだったな。作りは「スカーレット」の方が緻密だったけれど、なんんというか…やっぱり朝に見るものは明るい方がいいな、という、すごく単純なところにまとまる感じがします。ホントに単なる好みの問題ですが。

Twitterの話に戻るけど、わたしはやっぱり向いてないなぁと思うわ。いや、あそこに書き込むたびに思うんだけどね。
びっくりするほど私はあそこにいると孤独になってしまうの。世界でたった一人になったかのような気分になるんですよ。ムダに自己嫌悪に陥る。自分ほど取るに足らない人間はいないんじゃないか、くらいの気持ちに簡単に陥る。そういう意味では危険な場所です。だってそんなの全部錯覚だもの。錯覚なのに、あんなとこにどっぷりといたらホントにそうなんだと思い込んでしまいそう。
ブログはかつて私の発信場所だったけど、いまはさながら引きこもり場所です。ここにいると心の底から安心する。
引きこもるならもうちょっとマメに更新せい!って感じですけどね(汗)。