「談話室 滝沢」閉店

談話室 滝沢」ってのをご存知ですか?
東京都内(のみ?)に点在する喫茶店なんですが、ここが今月いっぱいで閉店するとのニュースを聞き、懐かしい一人の友人のことを思い浮かべています。

私が最初に滝沢に行ったのは広告代理店に勤めてた頃です。
24歳。日に必ずどこかしら2箇所以上の喫茶店に入り浸っていた喫茶店好きでありました。
ある日、同僚のSが「滝沢って喫茶店、知ってる?」と聞いてきました。
知らない、という私にSは言いました。その店はすごく有名な店らしいのだけど、入るのに勇気が要りそうな雰囲気をもっている「謎めいた」喫茶店なのだ、と。
「店内に滝が流れてるんだってさ。でね、コーヒー一杯1000円なの。」
コーヒー一杯1000円って…高すぎ。いったいどんなコーヒーだ?さぞや美味いんだろな。
気になる。覗いてみたい。
私たちは他の同僚も誘って、その「めちゃめちゃ高級」とも「もしかしてボッタクリ?」ともしらぬ滝が流れる(と言われる)謎の喫茶店にチャレンジすることにしました。
行ったのは新宿駅東口。
地下へと続く一直線の狭い階段をドキドキしながら降り、びっくりするほど広い店内にフラフラ入り、緊張しつつ一杯1000円のコーヒーを注文しました。
店員さんの態度が恐縮するほど馬鹿丁寧で、さらに緊張。
20代の私らは完全に場違いで、周りは50代会社員みたいな落ち着いた年齢層の人ばかりでした。店員さんだってみな年が行っている(後日、「滝沢のウェイトレスは全員未亡人」なる都市伝説があることを知った)。
1000円のコーヒーはたいして美味くもなくどっちかっていうとマズいどうでもいいようなコーヒーでした。
しかしながらこの価格設定はボッタクリでもめちゃめちゃ高級なわけでもなかったのです。
そう、ここは「美味しいコーヒーを提供する喫茶店」ではなく、「時間と空間を提供する喫茶店」だったのです。
目からうろこだったね。どれだけ長い間そこにいても、店員は放っておいてくれるんだもん。
東京のど真ん中に、こんなに静かに誰も邪魔せず過ごせる空間があることがものすごく贅沢に思えました。ちなみに滝はありませんでした。あったのはごく小さなせせらぎ。

ほどなく私はその異空間の妙な居心地のよさに魅了されました。
「談話室」の名のとおり、じっくりのんびり話をしたいときなどにはもってこいの場所だったし、何よりも気に入ったのは店内のいたるところに、とっくの昔に時代遅れになった意匠が見受けられ、「昭和」の匂いがぷんぷんしていたことです。「昭和」といっても30年代の、例えばクレイジーキャッツの映画に漂ってそうな時代臭。でも、それはとても懐かしい、いい匂いでした。

最初に私にこの喫茶店の存在を教えてくれたSは、高校卒業後カバン一つで長野から家出同然で上京し、ついこの間まで工場で流れ作業の仕事をしていたというわりには妙にインテリ…という、寺山修司の詩に出てきそうな経歴と雰囲気の持ち主でした。
カフカの大ファンで、訳者によってどこがどう違うのかを熱っぽく語る…とか、「芸術とは何か?」というのをいつもいろんなところで考える癖をもってたりとかするあまり例を見ない変人で、詩的で、話していてすごく面白いヤツだった。
私たちは毎日のように、喫茶店に入り浸り、帰りの電車を何本も何本も見送りながら、夢中になって芸術論や文学論を語り合いました。
楽しかったなぁ。
彼女の言った言葉で今でも忘れられない永遠の宿題みたいなものが一つあります。
「幼児の描く絵は芸術か否か?それが芸術であるなら天然自然にも芸術が存在することになるだろうし、芸術でないなら芸術とは神が創るものではないということになるのでは?」
私は今でも、これは芸術論の究極の問いだと思ってます。

ある時ふいに彼女は故郷に帰り、連絡が途絶えてそれっきりになってしまいました。今は行方知れずです。
おかげでたぶん一生、私は彼女のことを忘れられないでいる羽目になりそうです。

滝沢は、そんな忘れ難い友人との思い出があった場所でした。
その場所も、記憶の中だけの場所になってしまいます。
なんだかぼんやりと、寂しいなぁ。