私の選択が私を作った

小説『フランケンシュタイン』を書いた、19世紀初頭の女性作家メアリー・シェリーの半生を描いた映画『メアリーの総て』を観ました。

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メアリーは詩人・シェリーの妻なのですが(知らなかった!)、結婚に至るまでは不倫の恋人でした。シェリーの元妻の自殺、破産、放蕩、浮気、娘の死など…苦労の多い不安定な関係が、”悲しみの存在”であるフランケンシュタインを生み出した。その創作に至るまでのすったもんだが話の核になっています。
詩壇の有名人であり、友人でもあるバイロンも出てくる。こちらにはシェリーの妹が弄ばれて捨てられる。男がどいつもこいつもしょうもない。まぁ、詩人だもん、常識的ではないのは当然だろうけども(←偏見)。
シェリーもバイロンも有名人だけれど、メアリーのことは今まで全然知らなかったので、見終えた後にネットでいろいろ調べてみました。映画では、人間関係などはほぼ史実通りに描かれていたようです。

最初、メアリーは墓場に入り浸ったり、怪奇小説を好んで読んだり、隠れて恐ろし気な文章を書いたりするような陰キャなヲタ少女っぽく登場したので、後に絵に描いたような女たらしのシェリーにあっさり恋に落ちたのにビックリしました。キャラの整合性が無いような気がして、ちょっと混乱。若さゆえの”定まってない感じ”と捉えればいいのかな。結局はシェリーとの恋愛の苦労が名作を生んだので、人生万事塞翁が馬。

当時は女性が作家として(しかも怪奇小説で)身を立てるなんてありえない時代で、メアリーの作品はどこの出版社でも断られます。夫が詩人のシェリーだからという理由で、やっと出版できるのですが、名前は匿名で、シェリーの推薦文を載せること、という条件付き。シェリーの抗議で第2版からはちゃんと名前が載りましたが、それだって夫の力あってこそなんですよね…。どんなにか悔しかったことでしょう。性別だけでなく、身分でも差別があった時代。シェリーやバイロンは貴族の出なので社会的にも優遇されるけれど、そうでない身分であれば、才能があっても、たとえ男で医師でも著作権が保証されなかったりもする。(友人の医師が「ドラキュラ」を書いたのに、作者と認めてもらえず、鬱病になり自殺してるエピソードが印象的でした)
格差社会と言われて久しいですが、19世紀に生きる人たちは今よりずっと不自由で生き難かったはず。そんな時代にあっても、メアリーは、書くことで自分を生きた。創作は一条の光でありえたのです。
「私の選択が私を作った」は、メアリーの言葉です。ありがちな一言に思えますが、波乱万丈の人生の只中にあるメアリーの口から発せられるととても深い意味を持つ。自分の経験は全て私自身だ、という自己矜持なのです。全ての感情を創作に昇華させてゆくメアリーの姿が素晴らしい。


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