日記の魅力

アド街ック天国」の下北沢特集で、日記の専門店「日記屋 月日」の紹介をしていました。

tsukihi.stores.jp

オーナーの内沼晋太郎さんが、「今こそ日記が面白い」ということをおっしゃっていて、「なるほど!」と、ストンと気持ちに落ちるものがありました。


日々の思いを書き留めておくことで、人は自分の心と向かい合い、ここにあるということを実感し、ただ一度の日々を過ごしていることを確認できるようになります。
何も書かなかったら、当然ながら何も残らない。
何も残らないのってのもカッコいい、と、若い頃の私はずっとそう思っていたのだけれど、年をとってゆくにしたがって、過去の記録をありがたいものと思うようになりました。記録なしで立っていられるほど自分が強くはなかったことにも気づきました。


このブログも、最初はエンタメ系の萌え発信の場で、その姿勢は全うしたかったのですが、いつの間にか個人の日記となり早十数年。「日記なんかをブログに書いてるようじゃ低きに流れてるばかりでしょうもない」と、自分の行為を苦々しく思っていたはずが、今では日常の記録を書いてきて良かった、という思いでいっぱいです。特に子どもたちと過ごした記録が残っているのがありがたい。読み返しては楽しんでいます。まさにブログが自分で自分に贈った宝物と化しているのです。
エンタメ系萌え発信が目的だったにせよ、こういう場に出会えたことに感謝しています。
単なる日記(自分だけ見る日記)ってのは私は書かないし、書いても捨ててしまうので、後々残るにはブログという形があってこそなのです。


かつて発信者であった自負は、その時の私を支えていましたが、全ては去り、うつり変わり、当の私は今や叩いても何も出てこない空っぽな人間です。
発信者として脱落し、そのことにどこかで恥じてもいる私が、何か記すことがあるとするならば、それはやはり記録しかない。
私自身にとっても、今こそ日記が必要な気がします。
自分の行く先がとても茫洋としていてどうしたらいいのかまるでわからない岐路に立っている今、だからこそブログを書くことができなかったのですが(いわゆるネタになるようなことが思い浮かばないため)、書くことが自分の思いの記録でいいのなら、いくらでも書けそうだという気がします。

てなわけで、ほんのちょっとの意識の変化でずいぶん気が楽になりました。くだらない(って自分で予防線張っちゃだめだな)日々の思いやできごとでも、臆せずに書きとめていこうと思います。きっと未来の自分がめちゃくちゃ喜ぶね。日記は、自分自身へのプレゼントですから。
…と、ここまで書いて妙に既視感があると思ったら、なんと!!11年前にほぼ同じことを書いてんですね私。
怖っっ!
同じことを11年も後に、さも今気づいたように高らかに宣言してしまうとは。なんかもう、3歩歩いたら忘れる鶏のような頭を持っているのか(汗)。
しかも以前書いた記事の方が完璧に気持ちの説明ができています。自分で書いたものなのに惚れ惚れする名文。人間の劣化をしみじみと感じ入ります…と同時に、やっぱり「書いといてよかった」と思うんだよね!

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