祈りの日

64年前の惨禍を体験した方々に祈りを奉げます。
今の私たちがこうして平和に暮らせていることに、深く感謝しつつ。



私の聖母子像です。今日の日の記念に撮ってみました。
見る方向によって、マリアさんが微笑んでいたり悲しんでいたり表情が変わって見えるんですよ。
癒されます。



ボクちゃんにねだられて、折り鶴の折り方を教えました。
私が折るのを見ながら、すぐに折り方をマスターしました。手先が器用です。


私が初めて「原爆」を知ったのは、幼い頃に母が与えてくれた「千羽づるのねがい」という、佐々木禎子さん(平和公園原爆の子の像のモデル)の実話を元にした童話によって、でした。折り鶴を見ると、この物語を思い出します。
母は私に(今思えば過剰なほど)戦争関連の本を与えて育てました。
小学生のうちに、「ひめゆりの塔」も「ガラスのウサギ」も「きけわだつみのこえ」も「ビルマの竪琴」も「ベトナムのダーちゃん」も「アンネの日記」も…およそ学童が読む戦争関連モノのほとんどを読んだんじゃないかと思えるほどです。
けれど私は娘に何一つそういった教育(?)をできずにきてしまいました。
おかげで体感する歴史認識を育てられませんでした。
なので、こういう日でさえなんだかノー天気にスルーしてゆく現代っ子になってます。これって親の責任だなぁ。
昨日もNHKで始まったアンネの日記のドラマを見るよう促そうかと思ったんだけど、どうせ「暗いのはヤダ」とかって拒否られるだろうなぁと、ハナから挫折しました。
お笑い好きで明るく聡明な子だけれど、世の中の明るいところだけを見て生きてゆくと思わぬ脆弱な部分が生じてしまうってこともあるわけで…心配です。
わかってはいるのだけれど、上手くナビできません。
私ってダメ母だなぁ、と、毎年この季節になると思います。
せめてボクちゃんには教えていきたいですが、やっぱりどうにも自信がないなぁ。
私の母がかつてもっていた情熱は、地続きの実体験や同時代性があったゆえの執念だったようにも思います。
私自身がすでに最初から戦後世代のそのまた子供、なんですもん、同じ立場にはどうしたって立てません。経験を話すわけではないから、どうも「教育」っぽくなっちゃうのが後ろめたいのかもしれない。難しいね。
けれどせめて「この日は祈るものなのだよ」ということは伝えていこうと思います。
そしてどれだけ今の私たちが恵まれているかを知り、感謝する日なのだと。