誕生日に寄せて。

今日は私の誕生日です。生まれて39年経ちました。わー(汗)。

あと一年で40(不惑の40!)になってしまうので、今年はちょっと気合い入れて将来(?)のこととか考えようと思ってます。やりたいことがあって新しいことを始めるのなら、やっぱりこういう区切りのときってチャンスだし。わりとギリギリの年齢だと思うし(いろんな意味で)。頑張らなくっちゃ!と。

でも、そう思う反面、30代にはいってからずっと「もうすぐ40になってしまう!」と焦っていた気持ち(フォーティーズ・クライシスってやつ)が、去年ぐらいからスーッと消えて、なんだかのんびりモードになっているのも事実。

赤ちゃんのいる生活を過ごしていると、自分のことはあんまり考えなくなるんですよね。
0歳児と向き合ってると基軸が0歳に行くからねぇ(笑)。えらく未来志向になっちゃって、自分の残り時間の少なさとかに目が行きにくくなるっていうか。
悠久の時間にのんびり過ごしてるような気がする。
気のせいなんだけど。
5年後くらいに気づいて慌てるわけだけど。
あえてそんなことも意識して、勉強を怠らないようにしようと思います。いつも以上に精進する年にしよう、と決意!

「一隅を照らす(照于一隅)」という好きな言葉があります。
伝教法師・最澄が言った言葉だそうで、その意味するところは「自分の今いる場所や立場でベストを尽くすこと」であり、最澄はそれを「国の宝」だと言ってますが、私はこれを「自分のやるべき仕事をコツコツと積んで、灯りをともし続ける(成果を出す)」ことだと解釈してます。
それは私の憧れで、ずっと、そういう人になれたら、と思ってるの。40代はその境地に行けたらいいなー。
でもこれって、いろんなことをあれもこれも手をつけてたり、他人のやってることに便乗して楽しんでいるだけでは到底達し得ない境地ですよね。本当にやりたいことを絞って、真っ直ぐに精進しないと。それには自分をよく見つめる時間も必要かも。


最近、誕生日に思うのは自分のことでなく両親のことです。
自分に子供ができてから気がついたのは、やっぱり誕生日というのは生まれた人の日でなく生んだ人の日なのかも、ということ。
私は私を生んでくれた両親に、言葉ではいえない感謝の気持ちを持っていますが、両親もきっと、生まれて39年、幸せに過ごしている私をみて、とても幸福な気持ちになっていると思うのです。それを思うと私も嬉しくなる。
生まれた子供がつつがなく幸せに育ってくれたら、それが何よりもの誕生プレゼントです。生んだ方にとっても、生まれた方にとっても。


これは私が1歳の頃に母が作ったものです。

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一応、父とのペアルック。同じ糸で色違いなの。シャリ感のある混紡のサマーヤーンをかぎ針編みで編んだものです。こないだお盆に帰省したときに、持って帰ってきました。
39年前からずっと、母も今の私と同じようにこうして家族のものを編んできたんですよね。
こういうのを作ってたときの母の幸せな気持ちを思うと、ちょっと親孝行してる気になる(笑)。
ベビー用のほうは娘が小さいときにもよく着せました。

ウチは母が作って私が着てた服をまた娘が着る、ってのいくつかあるんです。
30年前のものでも、糸や作りがしっかりしてるとまだ充分着られるの。ケチって安い毛糸とか使うと、結局は長く着られずもったいないのかもしれません。良い糸すぎても虫に食われちゃうのだけど。

こうして世代を越えて残ってゆく手仕事って、なんかワクワクします。

今、子供たちのために編んでる服を、この子の子供が着てくれたらいいなぁーとか。その姿が見たいなぁーとか。そしたら可愛くて、嬉しくて、きっと泣いちゃうかもしれない。

その日まで、誕生日を重ねられますように。
結局、願いはそれだけだったりして。

こちらは娘がお誕生日プレゼントにつけてくれたチケット綴りです。

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「肩もみ」だの「太ももマッサージ」だの「食器洗い」だのいろいろあります。
でも、使用期限が短いものがあるので要注意なの!
去年は半分くらい使用期限がすぎてしまって使えなかったんですよぅ。相手も手強いのダ(笑)。
でも、とても嬉しいよ。ありがとね。