金色の秋

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気紛れに見上げる空に雲(くもり)無く
管(かん)の音わたる 秋あり此処に

 

***

 

「切なさ」は、「刹那さ」かもと、ふと思う
睫毛(まつげ) 夕日に染まる時刻は

 

***

 

一粒の麦死なずば、と 野をゆきて
一粒の麦たることの 切なさに満ち

 

***

人はみんないつかはいなくなってしまうんだなぁという寂しさを、毎日のように思う。
今日の日が二度と還らないことをいつも思う。
サヨナラだけが人生だ
「サヨナラだけ」ってのはホントかもしれないけど、自分からサヨナラなんて言いたくない。そりゃもう絶対に。
一刻も多く、あなたといたい。
できれば永遠に、ここにいたい。何も変って欲しくない。
そんなことを思っては涙ぐむ。

私はたぶん暇なんだろうな。
暇で、しかもシアワセで、ボーッとしてるからこういうこと考えるのであって、でも、そういった、暇でシアワセでボーッとした人生が私は最も理想なので、ゆえに神様は理想の人生を送れる代わりに、こうしていっつも寂しいぽっかりとした刹那感を抱くような心を私に与えたのかもしれない、などと感じます。

愛する人がいればその人をいつかは失う恐怖に耐えなければいけないし、楽しい時間が続けば、いつかはそれも思い出になってしまうのだと先読みしてしまうし、得たものがあればあるほど失うものも多く、感じる心が深ければ深いほど悲しみも深く、不変を願えば願うほどそれが叶わぬどうしょうもない無常だというのを感じるわけで、人間、たとえ100%シアワセでも、とてもとても悲しいものなのす。「シアワセ」とは言い換えれば「悲しみ」と同義かもしれないと思うことさえあります。
悲しいほどにシアワセ。
とても幸せで、とても悲しい。

この悲しみを少しでも減らすのが私の夢です。目標。
それはフシアワセになりたいっていうんじゃなくて(笑)、シアワセを、たとえば生まれたての赤ちゃんみたいに疑いなく受け入れるココロを持ちたいということです。ただ、受け入れる。先のことなど憂慮することなく、喪失の不安に震えることなく、今を生きられるようになりたい。
過去も未来もない、思考も無い、ただここにある自分を生きる。
たぶん、人生最大の目標ってのはこれなんじゃないか、と最近は思うようになりました。
赤ちゃんのココロに還ること。それが正真正銘のHappyなのではないかなぁ。


あなたは、今、シアワセ?