「D.N.A/ドクターモローの島」

なにコレw
噂には聞いておりましたが、ものすっっごいB級な香り漂う映画ですね。
人間と動物の遺伝子を操作してあらたに「平和的な」クリーチャーを作るというモロー博士の実験とそれが崩壊してゆく話。
たぶん原作(H.G.ウェルズの名作。読んだこと無いけど)ではすごく哲学的な示唆を含んだ深い話だと思うんですよ。高邁な理想をもっていても自然の摂理に反する行為はそれだけで悪魔の行為だということとか?上手く言えないけど。相変わらず思考停止中(爆)。
ま、でもそういう理屈以前にキモチワルくてげっそりです。
シューリスは飛行機事故で漂流しているところを、バル・キルマー演じるモロー博士の助手に助けられ、この怪奇の島に連れて来られます。でもって想像を絶する世界の中でパニックに陥り、逃げ惑い、絶望し、闘い、生き抜きます。
シューリス、こんなどうしょもないところで涙ぐましいほど頑張っておりました!



クレジットは3番目ですが、主役はシューリスで、物語の進行も全部彼の目線から語られます。
要するに出ずっぱりで、ビジュアルもいい感じだし、唯一まともな人間だし、ファンにはオイシイ。
しかしこの映画はマズイ。so yucky!
どこがマズイと指摘することもできないくらい全体的にグダグダです。
とはいえ、ラジー賞までいただいたモロー博士役のマーロン・ブランドは、思ってたほど悪く無かったです。
異形ですが、言動はまっとうだし(いや、全然まっとうじゃないんだけど(笑)、キャラが成り立ってる)、とにかくなんとなく地に足がついています。
問題はバル・キルマーだね。
バル演じる助手が最初から崩壊状態です。支離滅裂。こいつの存在がマガマガシイったらないです。
単に演じてるのが(私の嫌いな)バル・キルマーだからそう感じるのかと思ったら、そうでなくて、観た人誰もがこのバルはマトモじゃないと思うようです。
てか、ゴシップ読んだら、モノホンのバル・キルマーの撮影現場での狂いっぷりはこんなもんじゃなく、そのトンデモぶりは筆舌に尽くしがたかったようですね。(思い通りに脚本を変える、しつこく撮り直しを要求する、すっぽかし、暴力、ブチ切れ、わがまま、等々)
シューリス自身も「この映画はもう絶対に見たいくない」とまで言ってますが、彼が「見たくない」理由は、映画の出来不出来っていうよりも撮影時のゴタゴタがめちゃくちゃ腹立たしかったからでしょう。
制作がガタガタにもめた挙句、監督が代わり、主役降板のために準備期間も無いまま急遽主役を演じねばならず、しかも悪天候での中、亜熱帯のむさくるしい撮影所に閉じ込められ、撮影は一向に進まず、何を血迷ったか共演女優とヘンなことになり、隣には狂人・バルが暴れており、スタッフはストレスによるショート寸前で毎日本社に愚痴ファックスを送り続ける。
シューリスにとってあの島で起こったことは二度と思い出したくない記憶なのでしょうが、そこがまた、そのまんまこの映画の主人公と重なるので可笑しいです(可笑しがってスマンw)。
究極のスタニフラスキーシステム搭載ってとこですかね(笑)。


苛烈を極める逃げ道ナシの撮影現場でオンナに逃げるってのがいかにもシューリスっぽいですが(って失礼)、相手役の猫娘ことフェアルザ・バルクとデキちゃったってのを知った時はちょっと萎えました。
こんな↓ことや



こんな↓ことしているうちに




リアルで恋に落ちたのだね。
そりゃ、あるよね。役者なんて擬似恋愛の連続だもん。
フェアルザ・バルクとは96年から97年の1年ほどつきあってるようです。(ゴシップ記事を必死で調べましたさ)。
別れた後で98年にはケイト・ハーディーという女優さんとつきあい、1年ももたずに別れてます。で、その次がアンナです。


フェアルザ・バルクとのツーショットはこれ↓しか見あたりませんでした。



かなり他人行儀なツーショで、「ホントに恋人?」って感じも。
(もしかして違うのかもな。噂だけ、とかさ。そんな気もしてきた。それにしてもこのシューリスはカワユイな)
あっけなく別れたみたいだから、もしかしてあまり近くなれなかったのかもしれませんね。
撮影時のあまりのツラサに逃避した場所でしかなかったのかも?という想像はお2人に失礼ですかね。
というわけで、私の脳内では今やこの映画は「過酷な状況下、シューリスがフェアルザ・バルクに逃げた映画」です(爆)。