「それでも生きる子供たちへ」

7人の監督が描く、7つの国の子どもたちの物語。
カティア・ルンド(ブラジル)、ジョーダン・スコット&リドリー・スコット(イギリス)、スパイク・リーアメリカ)、エミール・クストリッツァセルビア・モンテネグロ)、メディ・カレフ(ルワンダ)、ステファノ・ヴィネルッソ(イタリア)、ジョン・ウー(中国)。
それぞれが、それぞれの国の過酷な状況の下で、それでも懸命に生き抜く子どもたちを優しい目線で描いている、ものすごくメッセージ性の強いオムニバス作品です。
これ、すごく苦手なタイプの映画なので、普段だったら真っ先に敬遠するでしょう。
戦争、貧困、犯罪、暴力、飢え、病気…そんな中に子どもたちが放り込まれていることを考えるだけでも目眩がし、脆弱な私は現実のツラさに打ちのめされてしまう。可哀相な子どもたちを直視できず、それをどうにもできない自分の無力に勝手に傷つく。
苦手な題材なのにあえて観ようと思ったのは、シューリスが出ているからです。
とはいえ、ウチの地元ではかからないので、観るのは諦めておりました。
ところが、隣県で2週間だけの限定上映があり、偶然その近くに出かける用事が重なって、ギリギリ合い間をぬって見られることになったので、思い切って行ってきたというわけ。
やっぱりシューリスの姿がスクリーンに映ってるのに、観ないわけにはいかない!と思ったし。
時間の関係で7話中5話までしか見られませんでしたが(ウー監督の、観られませんでした(涙)。すごく興味あったのに)。

5つの短編はどれも子供の力強さを感じさせるものでしたが、一番最初に見た「タンザ」だけはとても救いがないように思えました。
これは辛かった。あまりにも可哀相で。
最初からいきなりこれで、涙がこぼれ、息苦しくなり、こういうのがあと6話も続くのか?耐えられない!と思いましたよ。(これは映像もいちばんキレイだったからなおさら壮絶でした)
でも、他の短編は、どうにかどこかに希望の光を感じることができて、過酷な状況ということには変わりなくても、そこに生きる喜びが感じられる作りになっていたように思います。
私が一番いいな、と思ったのはブラジルの「ビルーとジョアン」という兄妹の物語。
廃品を拾いながら小銭を稼いで生きるスラムの子供たちの話なんだけど、そんな生活の中でも楽しみとか歓びを探す彼らの能力がすごいんだ!逞しくも素晴らしい。
パンクしたタイヤを直してくれる親切な大人もいる。なんだかジーンとした。
日本の子どもたちには想像もつかない世界だろうけれど、こうして生きてる子供もいる。でもきっと「かわいそう」なのとは少し違う。


シューリスが出演しているのはリドリー・スコット親子が監督している「ジョナサン」という作品。
戦場カメラマンだったジョナサン(シューリス)は、戦地で目の前で死んでゆく子供たちを助けることもできず、過酷な状況の中で逃げ惑う子どもたちに手を差し伸べることもできなかった自分を責め、それがトラウマとなっている。報道という仕事にも懐疑的になり、絶望感にさいなまれている。
傷つく子供、無力な大人。世界は救われない。彼らを救えない自分もまた救われない。
そういった精神的袋小路にはまったジョナサンは、ある日森の中で子どもだった頃の自分に戻るのです。
子どもの自分がたどり付いた場所は戦場。
激しい銃撃戦の中、命からがら逃げてきた子どもたちがあちこちからつどい始める。親も家も無くした”かわいそうな”子どもたち。でも、子どもたちは「生きて」いた。その瞬間を、強く、明日があることを信じて、仲間と手を取りあい、笑顔さえ見せながら。
ジョナサンはそこに身を置くことで、子どもの頃の自分の感覚を思い出すのです。決して弱くも無力でもない自分。プライドがあって、ちいさくても”かわいそう”なんかじゃなかった自分。



私は子どもという存在そのものに(それがごく普通の子供であってもちょっとしたことで)哀しみを感じてしまう「過保護な親」の代表のようなものです。子どもたちのその小さな体と傷つきやすい心を過剰に守り、抱えていないと安心できない。
口癖は「かわいそう」だ。
そしてすぐメソメソと泣く。
自分でもこれはダメだと思っているけれど。だって、自分が子供だった頃に、したり顔の大人に「かわいそう」と言われたらどうだったろう?「バカにしないで!」って思ったに違いないものね。でも、親になった私は、そんな自分の幼い頃のことは忘れて、ついつい「かわいそう」と(そのつもりはないのに)”上から目線”で子供を見る大人となってしまっている。
大人は子供を無力で弱きものとたかをくくっているのかもしれない。
そういう意識がマイナスの方向に振れると子どもを無視したり犠牲にしたり利用したり傷つけたりするし、プラスの方向に振れると過保護で過干渉な親になる。どっちにしても子供の存在を本質的にとらえていない。
それは言葉を変えれば「大人の勝手」だ。
「大人の勝手」こそが子供を傷つけることを、自覚しないといけないと感じました。
大人こそがしっかりしなくちゃならないんだ!ということに気づかされたというかね。無力だとか、無意味だなんて情けないこと言ってたって何もはじまらない。傷つくことを恐れていたら、世界は変わらない。
けなげな子供たちを見て、ただ頭を抱えているだけの大人じゃあまりにも不甲斐ないじゃないですか。
ジョナサンは顔を上げて前を向いて再び歩き始めます。
大人だって強くはないけれど。でも、子どもたちに負けてはいられない。だいいち、私たちには責任がある。この世界を作っているのは誰あろう自分たちだという自覚をもたなければ。
シューリスのおかげでこの映画をわざわざ観に行く気になったわけですが、そのシューリスが演じる役こそが、私のような弱い”大人”を真正面からとらえた象徴的な存在だったことが、何か胸にキましたね。
彼を通じて監督がこちらに伝えたかったメッセージを、たぶん受け取れた気がします。


スクリーンの大画面でシューリスを観られたことは、とてもシアワセでした。
ほんの少しですが、手の表情も顔の表情もアップで見られたし、森を走る時の笑顔はステキだったし。
こういう作品にさりげなく出ちゃうところもまた彼らしくていいなぁ、という気もします。
大好きな人の姿がスクリーンいっぱいに映るのを観られるのって、こんな感覚だったっけ。忘れていた感覚です。好きなヒトが映画俳優でいてくれるシアワセを思いますね。
動機は不純ですが、この作品自体、観られてよかったです。放っておけば観ませんもん。こういう作品は。
ウー監督の作品が観られなかったのは残念ですが、またDVD出たら観るつもりですので、その時の楽しみにしておきます。