パリが街にやってきた-印象派からエコール・ド・パリまで-

週末、「とちぎ蔵の街美術館」にて標題の企画展をみてきました。
モネやシスレーの純粋なる印象派と、ピカソシャガールやスーチンやヴァン・ドンゲンを一緒に合わせちゃった盛り沢山な…というか、はっきり言って散漫な企画展です。
わりと疲れるんですよね、こういうタイプの展覧会って。
イメージも思想も異なる絵画が並んでいるという状況は、観る者の心も瞬時に切り替え続けて観ていかないといけないわけで。
そういう意味では県展や二科展なんかもめったくそ疲れるんですが、それはまた素人が描くもの(どれもたいした個性が無い)が並んでいるのと、プロが描くもの(どうしてもインプレッションが強い)が並んでるのとではワケが違うので…やっぱり、こういう展覧会はなかなかお徳なようでもヘトヘトになります。数が少ないのが救い(?)。

そもそも、印象派はともかく、パリ派(エコール・ド・パリ)となるとすでにそこに分類される画家自体がタイプ違った人ばかりですからねぇ。第一次大戦後のパリに集っていた放浪の芸術家、という枠組みですから共通の思想も様式も無いわけで。
「くくる」ことに意味があるとすれば、時代の空気を感じるため、かな。
私も若い頃はその雰囲気が大好きでした。高校生の頃一番好きだったのがこの「パリ派」だった。
なんというか、パリ派の画家っていうのは個々が奔放に時代の勢いやデラシネの情熱や自己顕示欲みたいなものを抱えていて、そういうのが若い子の心理に多大に訴えかけたのかもしれません。
特に好きだったのがフジタ(藤田嗣治)とロートレックでした。
フジタは今でも好きですが、ロートレックは今となってはちょっと趣味変っちゃったかな?もちろん今でも嫌いじゃないんだけど、いつのまにか部屋に飾りたい絵ではなくなっちゃった。(昔は部屋に「ディヴァン・ジャポネ」のポスター貼ってました)
絵の世界でもわりとローリングストーンなワタシ。

今回の展覧会で特に印象的だったのは以下の2点です。

 

1)アルベルト・マルケ「ポンヌフとサマリテーヌ」 

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今回の展覧会で一番気に入っちゃったのはこの絵と、隣に並んだ同じくマルケの描いた「ポンヌフ 夜景」の2枚の連作です。
マルケはどうもポンヌフが大好きだった様で、同じような作品を何枚も書いています。
右図はそのうちの一枚で、私がこの展覧会で観たものとは違うのですが、大体こんな感じ…ということでご参考までに。
マルケという画家についてはほとんど何も知らないのですが、印象派と表現派の中間のような…かといって古色蒼然としてなくて、妙に現代感覚に近い絵を描く人ですね。
全体的には淡い色調でボケッとして見えるんだけど、水墨画っぽい単純な線で空気感を巧く出してます。いくぶん東洋的なその筆致が、なんだかリアルに思えるのは私が東洋人だからか?
とにかく臨場感がある。
見つめているうちに、ひゅっ、とポンヌフの橋のたもとに意識が飛んでいってしまうようです。
たとえて言うと、「ド近眼の人間がコンタクトレンズを忘れてポンヌフに佇んだ時に感じる感覚」かもしれない(笑)。空気の冷たさや濡れた街路の匂いや「もや」の感じまでも感じられるのに、景色自体はちょっとボケてる、というね。視覚より肌に感じる(?)ものが多い。
暗めの色彩なのになぜか暗い印象が無くて、ほわんとした夢のような楽しさが感じられるのも個人的にとても気に入りました。
ちなみにサマリテーヌというのは対岸に見えるデパートです。

 

2)ピカソ「貧しき人々」

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ピカソはやっぱり凄いのだ!
というのは、こういう展覧会で見るともはや一目瞭然で、それはもう誰もが認めるところだと思う。表現力が深いです。神懸ってる。
これは1905年製作の小さなエッチング(銅版画)作品です。
貧しいサーカス団の家族の、荒んだ状態を描いている。なんとも言えぬ人物の表情や肉体の細さ、空の暗さ、空気の重さ。
「貧しさは精神も貧しくする」という観念の元に描かれた作品だということですが、本当にそこにはいかんともしがたい人間のうめきのようなものが聞こえてくるよう。それでもそれは「地獄」ではなく、「現実」なのだという近しい距離感もきちんとあって、ピカソが決して観念的・空想的な作家ではなかったことを物語ってるように思えました。とにかく凄い表現力。物事の本質を見る目があるんでしょうねぇ。
1枚でもこんなに濃いんだからなぁ・・・ピカソって。「ピカソ展」とか行ったら、あまりの濃厚さに気がおかしくなるかもしれません。


その他の展示作品には、モネ「クルーズ川の岩場」、ルドン「花」、キスリング「青い服の婦人」、シャガールエッフェル塔前、祭りの人々」、ロートレック「ディヴァン・ジャポネ」、キース・ヴァン・ドンゲン「白い服の婦人」、パスキン「座る女」・・・など多数ありました。
惜しむらくはモジリアニとフジタが無かったことですねぇ。特にパリ派の象徴たるこの二人の作品を、意地でも持ってきて欲しかったです。

ふと思ったんですが、最近私が大好きな構成主義やダダ的な作品も、じつはパリ派などとは時代的には大差ない同時進行的なまったく別の潮流なんですよね。あらためてそこに気づいてちょっとびっくりしました。だって、構成主義の方が断然新しい感じするんだもんね?こっちはもう思想観念先行型であって、画家としての力量よりも、思想的芸術家としての行動が問われるのかもしれないという…ちょっと邪道な美術潮流かもしれませんが。
ま、いちがいに1920年代といっても、いろいろだということ(あたりまえか)。