「ファースト・マン」

人類史上初めて月に降り立った男、ニール・アームストロングの物語「ファースト・マン」を見てきました。

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ライトスタッフ」の(原作・映画とも)大ファンで、「アポロ13」のDVDも所持して繰り返し見ている「宇宙モノはわりと好き」な私にとっては見る前から楽しみな作品で、なるたけ事前情報などは耳に入れないようにして、まっさらな状態で臨むようにしましたが…
予想外でしたねぇ。ちょっとした衝撃。
私が今まで見てきた宇宙飛行士の映画とはかなり様相が違ってた。
宇宙開発というプロジェクトもそこに関わる人間たちも淡々と冷静に…というよりむしろツラく苦しい仕事に従事する自己犠牲的な人間として描かれていて、それまでの宇宙モノには必ずあった(と、私は感じていた)”夢や希望”が感じられない。
過酷な状況にぶちあたる「アポロ13」にさえ濃厚に漂っていた”夢や希望”が、月面着陸という偉業を成し遂げたはずの男の姿から全く感じられないのです!
アームストロングは、ひたすら冷静な沈思黙考型の人間です。
そういったキャラクターだとしても、ここまで淡々と描いたのには、そこに監督の強い思惑があるからでしょうね。
「なんのために」「なぜその仕事をするのか」「なぜ彼はそこにいるのか」
他者からはうかがい知ることができない”ファースト・マン”の胸の内には何があったのか。
宇宙開発とは夢や希望を語りながら、人間個人の理想や思惑を遠く超えた「開発」という名の国威発揚と技術力の誇示が第一義だということは感じていましたが、「そのとおりだよ」と現実を突き付けるようなドライな感触が、この作品はあります。
それでも宇宙飛行士たちは逃げずに「仕事」を全うした。
例えば軍人が人を殺傷するのも「仕事」だけど、善し悪しではなくミッションだから遂行するわけで…この作品の「仕事」もほぼノリはそれです。
けれど、「なんのために」というエクスキューズがそもそも正常に機能しにくい軍隊ならばいざしらず、彼は個人として意志あるはずの宇宙飛行士なわけです。モチベーションがなければ動けないのではないか?ただ唯々諾々とミッションをこなすわけないじゃん?とどうしてもこちらは想像しようとする。そこにある種の「救い」を求めちゃう。

でも、救いはどこにあっただろう。正直あんな凄い経験積み重ねている人間の気持ちが、そんな簡単にわかるはずはなくて。
この作品にはその答えにつながるものが、様々なシーンを通して表現されているのだと感じました。
決して一言で表せるはずもないものを表現するとき、ディテールの積み重ねでその形がおぼろげながら見えてくるようにすることしかできない。描かれるのはピース(欠片)だけ。
そこにこの作品の誠実さがあると感じました。
安易にわかった風な口をきかない。


そして観客側にとってもひたすら苦しくてツラい場面に耐えなくちゃならない…という、映画としての癒しがほぼ無い作品だったりします。
高所恐怖症、閉所恐怖症、乗り物酔いをする人…ガタガタでペコペコな小さな宇宙船(「船」ではなく、あれは「箱」だね)で体を固定されたまま宇宙にまで飛ばされることをきちんと想像できる人も、わりと見るのがシンドイかもしれない。
でも、見てよかったと思える作品でした。エンタメとしてはたぶんふるわないのだろうけれど、作品の存在意義はとても強く感じた。

 

静かの海のクレーターのシーン(ネタバレなので詳細は書かないでおきます)は、感極まってホロッとしてしまいました。
頭の片隅で「これはやりすぎでは?」と思いつつ。
「エンタメ的なあざとさ」を感じたのはそのシーンくらいなのだけど、そういうところでまんまとひっかかる私のようなチョロい奴がいるのだから、映画としては外せないんだろうな。
ってあれが実話だったら申し訳ないんだけど…そんわけないよね。あれは絶対にやってはいけないレベルのことだろうから。あの描写を入れることで実在のアームストロングに失礼なのではと思わなくもない。
ま、映画か。映画は自由だ。

 

監督はデイミアン・チャゼル、主演はライアン・ゴズリングの「ラ・ラ・ランド」ペア。
なんだかなぁーとモヤモヤが止まらなかった「ラ・ラ・ランド」ですが、なぜか心に残ったのはどことなく懐かしい面影を持ったライアンの佇まいでした。
彼はとても懐かしい誰かに似てて…誰だったかなぁ…ってずっと気になってた。それが誰だかやっと気が付いたの!
チェビー・チェイスです!
チェビー・チェイスは私の大好きなコメディアンで、活躍してたのは1970年代後半から1980年代前半。その頃はホントにカッコ良くて面白くて最高でした。
今回の”アームストロング”ライアンは笑わない役だったので、今度はとにかく陽気で楽しくてコミカルでスタイリッシュなライアンが見たいです。
…ああそれってチェビーが見たいってことなのかな、とちょっと思ったりもするけど…そういうことではなくてやっぱりライアンが見たいんですよ。

どうでもいいんだけど、宇宙飛行士の同僚・エド役のジェイソン・クラークなんだけど、「華麗なるギャッツビー」の中でギャッツビー殺した修理工場の男を演じてるんですよ。なのでどうしても彼が出てくるたびにギャッツビー(に出てくる眼科の看板)が頭をかすめちゃうの。あの役、インパクト強烈だったからねぇ。
脇役なのにいつまでも忘れられない印象を与えられる役者って凄いけど、あまりに強烈なのもあとあと大変だな、って思ったり。

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映画帰りに見上げた今宵の月。
あそこに降り立った人間がいるなんて、それはいまだに想像を絶する。


映画『ファースト・マン』特報