生きてるだけで精いっぱいの俺に何をしろというの


えー。ちょっと早いけど、今年の総括です。
表題はエレカシの「Destiny」の歌詞からとりました。
今年1年(てか、ここ2年くらいの間)の私の意識はまさにこれでした。
何があったわけでもないんだけど、とにかくヤル気が出せずにダメ感だけが強かった。
片付けられない部屋の中で、タテのものをヨコにすることさえ億劫な私は日々グウタラと過ごしました。
誰も私を傷つけない優しく温かい世界にいて、私はとても幸せなのに…そこに値しない怠けた日々。
だってアタシは無能なんだもん。何もできないんだもん。どんどん年をとって老けてゆくだけなんだからね……で、あげく「生きてるだけで精いっぱいの俺に何をしろというの」と思うわけです。
要するにこれって逆ギレですからねw
「生きてるだけ」という最低限のことで能力使い果たしちゃうくらいアタシは「ダメ」なんだから、「精いっぱい」一生懸命やっててこれなんだから、何もできなくたって当然よ。しょうがないじゃん……という、ある種の開き直りです。
自己弁護と開き直りと自己嫌悪。
ミヤジはホントに私の心を代弁してくれるなぁ…としみじみ思うわ。
50も手前でオトナゲなく何やってるんだか、っていう面倒くささを共感できるんだもんね。


思えば私がこうやって停滞してしまったのも、年齢的なモノが大きいんだと思います。
簡単に言っちゃえば「50の(フィフティズ)クライシス」だね。
来年50になるという自分自身の人生、ただただ「どうしたらいいのかわかんなくなった」んですよ。
「暮れゆく街のざわめきの中に立って 落ちてゆくすげぇスピードで でかい渦巻の中」
って感じよまさに。
これはエレカシの「RAINBOW」の一節ですが(^^;
ホント、「途方に暮れた」のです。
能力も才能も積み重ねもないババアが今さら何やったってどうにもならんだろ、っていう、何かすごく狭量で臆病な観念にガチガチに縛られて身動きが取れなくなった。
でも、どういうわけか次第にその考えにも飽きてきたというか、バカバカしいと思うようになり…最近ようやく、このわけのわからない危機から脱しつつあります。
今は、余分なことは考えず、やりたいことややるべきことを一つ一つやっていこう、と再び思えるようになってきました。
実際にやりたいこともどんどん出てきて体が動くようにもなったし。
何もやらないと何もやれなくなるんだけど、何かをやり始めると他のこともどんどんできるようになるんですよね、不思議と。
気分やモチベーションが停滞してるなと思った時は、立ち止まらずにむしろ動いた方が、展望が開ける。
最初の一歩は億劫なんだけど、そこを思い切って動けばかなり動けるようになるの。
勉強になりました。


ホント、11月頃になってやっと気持ちに余裕が出てきたというか、何か憑き物が落ちたかのように目が覚めた感じがしてます。
私はもう大丈夫。
何の根拠もないけど、そう思えるようになりました。
私は50を目前にして次のステージに上がる精神的なハードルを、2年かけてどうにか超えたのかもしれません。
これって超えたのかな?まだわかんないな。
いわゆる「更年期」ってのがまだちゃんと来てないので、それが来たらまた何か一波乱あるのかもしれないけど…その時はまたその時だね。今からあれこれ思うのはやめときます。


ミヤジにもすごく助けられました。
今年、いきなりエレカシに目覚めたのには、「神の見えない手」が関わってるとマジで思ってます。
エレカシなんて、若い時からずっと気にもならなかったのに、それはまるでハリーポッターに出てくる「必要の部屋」みたいに、突如私の前に現れた。
50クライシスの私の前に、50クライシスのミヤジが現れたのです。
いや、最初は違ったんですよ。ふいにハマって、若い頃の曲から聴き始めたからね。でも、行きついた最新アルバムは、私の「今」と絶妙にリンクした。そこがゴールだった、としみじみ思いましたからね。
同じ年で、感覚がよく似たミヤジの言葉は、私の居る場所をびっくりするほど正確に照らすものでした。
ミヤジは私だ。
ずっとそう思って、私はエレカシを聴いてます。
歌にある「言葉」にこんなに共感したことは、たぶん私の人生で初めてだし、今後もないだろうと思います。
(もともとクラシックや中華POPSばかり聴いてたから、歌詞の意味なんてあまり気にしないタイプなんですよね(^^;)


マッタンが芥川賞を受賞したのも嬉しいことでした。
自分も小説を書いているのだから、これを励みに感じたり、「私も頑張ろう!」と当然思うはずのところ…不思議とそういった感情が全く涌かず、ただただ祝福モード。「マッタン、えらいなぁ〜凄いなぁ〜」って、ただひたすら感心して、まるで自分に反映させる気にならないのが我ながら驚きでした。
それほどに私はマッタンの才能をかってたんです。
私がずっとその才能をスゴイ!と思ってきた人が、世の中に認められて最高の賞を獲ったことが、単純に嬉しかったのです。
てか、こういっちゃなんだけど、見る目あるよね〜私w


言ってみりゃこの一年、私は寝転んで夜空を見上げ、( ゚д゚)ポカーンと過ごしていたようなものです。
夢や希望や憧れといったキラメク星々は美しく、あまりにも遠かった。
私はそれをただ眺めるだけの地を這う生き物でした。
グウタラして何もせず、何もしないことに自己嫌悪や罪悪感を感じ続ける日々の中、ふと見上げる夜空で星たちはいつもまばゆいほどに輝き、美しく頭上にありました。
私は「三年寝太郎」よろしく、その輝きを眺めつづけ……ふいに目覚めたような気がします。
星々の輝きを心に刻んで、きっと来年からはムックリ起きて動き出す。きっとそのはずだと、心のどこかがトキメイテいるのです。
夢や理想を抱くにも元気が必要です。最低限のその元気が、少しずつ戻ってきました。
50クライシスの波はまだまだありそうな予感はあるけど、久々に頑張れそうな気がしてる自分が嬉しい年の瀬です。