秋の門

今日は暑いくらいの陽気でした。
青い空に色づいた紅葉がよく映えてとてもキレイ。
パン屋さんに行く途中で、しばし足を止めて見た景色。



祥雲寺の山門。



慈光寺の「赤門」。



「 柿落葉 刻(とき)解け往きて 鄙の門 」  約拿



最近ちょっと俳句齧ってます(マッタンの影響ね)
今まで、短歌は好きでよく作ってました。
基本的には短歌の文字数がちょうど自分の感性に合うのだけれど、縛りが多い俳句の中で言葉を選ぶのも楽しいなーと思います。
約拿は俳号ね。読みはもちろんyonaです。


秋の日々はあっという間に過ぎて、気づくと一週間くらいすぐに経っちゃってます。
てか、この歳になると年月自体があっという間に過ぎるね。
週末、久しぶりに会う友人とランチしたのですが、前回逢ったのが8年くらい前だったと気づいて愕然としましたよ。
そのくらいの年月とか、ヘーキで過ぎちゃうんだよね。
8年とかの実感がない。1年の実感も、1か月の実感も、1日の実感だってない。朝が来るとすぐまた次の日の朝にいる(爆)。
時の流れに気づくと胸の奥がザワザワする。
邯鄲の夢を見ているような気分になる。
こうしてボーッとしてるうちに婆さんになってゆくんだな…と茫洋とした思いで佇んでいる。
…という意味の句なのですよ、さっき書いたのは。
ちなみに漢字の読み方をカッコで入れるとか、ダサくてやりたくなかったんだけど、音が大事だから仕方なく入れておきました。
やっぱりダサい(汗)。
こういう時はどうしたらいいのでしょう?
そう!
私が俳句向きでないなーと思うのはこうやってすぐ細かく解説入れたくなっちゃうところなんですよね。
そぎ落とした美よりもとことん理屈言う方が好き、っていう。