ネット小説を書く人々への想い

最近…というか、ここ1年くらいの私にとってエンタメ関連の一番の楽しみはロンハー(ハリーポッターのロンとハーマイオニーのことです)のイロイロな関係を想像したり、二次創作の小説を読んだり、イラストサイトを覗いたりすることだったりします(邪道)。
この世界、いったん覗いてみると、その内部にはあるわあるわうじゃうじゃとピンからキリまでさまざまな二次モノが溢れています。ちょい歪んだ情熱家さんがいっぱい!(爆)
ハリポタ関連では健全なのと不健全なのときっぱり別れてて、健全なのはヲトメモード全開なロンハーとかハリハーとか(すでにこういう言い方が不健全とも言うが)あるんですが、不健全なのは腐女子系で…ま、これは言及を避けておきますが、そういうのもビックリするくらいある。
ロンハーに関しては私は完全に送り手側ではなく受け手側なんですが(これからもきっとずっとそう)、かつて辟易していた「受け手のわがまま」に、自分がどっぷりと浸かっているのをひしひしと感じます。
端的にいうと「飛びついて一気読み(あっという間に消費)し、作者に感想もねぎらいも送らず、思うことは「早く新作を!」ってことばかり」ということですね。これ、送り手側からすると、たまらんのよね…。なーんも反応無いのにプレッシャーだけは感じる、みたいな。

かつて私は送り手であったので、こういった受け手の態度に対して何度も淋しい思いをしたり張り合いを無くしたりしていたんですが、それは、受け手の側からするとごくナチュラルな反応なんだということに、今更ながら気づきます。
それでももちろん、いつもサイトに来て小説を読んでってくれる人がいるってだけで、送り手は本来の目的をちゃんと果たしてるんですが。
つまり何度も来てくれるってのは面白がってくれてるわけだし、言葉は無くともその行動がちゃんとそれを物語ってくれるわけですから。
それでは淋しい、なんか反応くれ!というのはこれ、送り手側のわがままなのかもしれない。
「感想くらい書けやボケ!」みたいな態度でしじゅうキレかかってた私って、実にウザイ送り手でしたね(笑)。
あの頃(私がサイトで小説を書いていた頃)、たくさんの数え切れないファンメールを いただいたのですが、そうして言葉をかけてくださることが、どれだけ有り難いことだったか…それは本当に稀有なる恵みだったんだということにあらためて気づかされます。
あの頃、私のバカな小説に本気で賞賛をくれた皆さんの「言葉」は私の一生モノの宝物です。もちろん「言葉」はみなプリントアウトして大事に取っておいてありますよ!
今でもどんなにそれらに支えられているか。感謝しています。

話が逸れましたが。

萌えモノ同人系の作り手さんって、8割くらいは「自己満足系」だと思うんですよ。
勝手なカップリングは言わずもがなですが、キャラのイメージ付加においてもそれは勝手に繰り広げられてる。
受け入れられるのはごく近いシュミの人限定。一般人には当然嫌われる。
香港明星同人誌をよく読んでいたときも感じてたことなんですが、とにかくもう、全然イメージ違う「誰?これ?とほほ」な明星(もどき)が、作者の萌え心のため「だけ」に勝手に脳内変換されて出てくる例が多々あったりするのよね。
イラストでも妄想小説でも同じなんですが、インパクト(ってかダメージ)はイラストの方が大きい。パッと見で「ヘン!」ってのが伝わっちゃうからわかりやすいし。
たぶんそういう「ヘタな」送り手っていうのは、自分の技量を省みる間もなく「萌え」が先行しているんでしょうね。客観的な視線など持ちようが無いほどに、自分の中に溜まったものを吐き出さないと気が狂っちゃう!みたいな。
それはやっぱり作り手として痛いと思うけど、気持ちはわからなくもないんだよねぇ。それだけの強い意欲があって初めて出てくるものもあるし。
それ(オノレの萌えの発露)が基本的に同人の「機能」だと思うんで、客より先にオノレがあるのはまぁ、しょうがないのかもしれません。
でもそれはまた、同人の「壁」でもある。
そう。同人(ネット創作も)の壁は厚いんですよ。一般的創作物との間には深くて暗い河がある。
同人やネットでどんなに頑張ってても陽のあたるところには行きにくいよ、っていう。
それでは創作する者として時間の浪費なのか?ってーと、一概にそうもいえない。
これを「無駄」としてしまうと、創作というものの根幹が脅かされる気がするんですよね。
膨大な同人やシュミの作り手がいて、その土壌はいわゆる「アングラ」ですけど、そこでうごめくミミズがいっぱいいなくては良い作物はできない。
これも文化の底辺を支える大事な層なのだと思うわけです。
でも、所詮それは底辺で。
だからこそ彼らは「オノレの萌え心」だけを頼りに、その一本のオールを握り締めて、広大な海原へ出てゆくんですな。
なんだかそう思うとイトオシイのです。たまらなく、応援したくなる。
やっぱり、私は送り手側にいたい!と思ったり。もう無理だよなぁーと思ったり。そうしていろんなことを考えながら、今日もネットの片隅に無償で提供された「誰かさんの作った世界」にしばし遊ぶのです。