2003年の暮れに

今日で今年も終わりですね。今年は皆さんにとってどんな年だったでしょうか。
私にとっての2003年は、どことなく低迷していた一年でした。現状を維持するのがせいぜいといった感じで、あまり進歩もありませんでした。それでも健康で、家内安全で、周りの人たちと和やかに平和に暮らせたので充分だと思ってます。私の究極の願いは、きっとこういうことですから。
なんつって。とはいえ、「究極の願い」が叶えばそれで満足かと問われると、力強く頷けないのも人間の奢った悲しいところで。
健康で平和に暮らす他に、夢中になれるものが欲しかったり、夢を叶えたかったり、お金を稼ぎたかったり、欲しいものを手に入れたかったり…そういう俗っぽい部分が私にはあって、でも、今年はそういう小市民的願望はろくに叶いませんでしたので、なんだかあっというまにただ時間だけが過ぎていってしまった印象です。
努力も足りませんでした。
意気込みも足らなかった。
だから自分でも「しゃぁないな」と納得してますし、別に落ち込んでいるわけでもないんですが。

今年は、ある事情から常に「今に在る」ということに思いを留めて生活してきました。
今日、生きていることに感謝を。と。目の前の「あたりまえ」は全て奇跡なのだ、恵みなのだと思うように。自分がいかに幸福なのか悟るように。
そうやって毎日感謝の気持ちを感じているうちに、不思議となんだか無気力になってしまった。
だって私には全てがあって、足りないものなど何もなかったからです。足るを知ったら私はもう「何も望めない」立場の人間になってしまった。
もう、人生がパーフェクト。
それなのに、私には強い不全感があった。あらゆるものが本当は不足しているようにも思えた。
私は確かに神様に守られ、生かされている。それはとてもよくわかっている。
でも、「生かされる」というのは、こういうことか?という気がだんだんしてきたの。なんだかこれって、謙虚なのではなく怠惰なんじゃないか?と思えた。もらうだけで何も返していない自分は、自分であることをもどこかで放棄しているのではないか?と。
一日が無事で終わって良かったと感謝する心…それは確かに最大に大切なことだけど、私はこの先ずっとそれだけを祈って生きてゆくのか?と思ったらたまんなくなってきた。
そこからわりと悩みましたねぇ。
「人間が生きてゆくということ」について、ものすごくたくさん考えた一年でした。

この歳にこんなことが考えられたこと、今になってみるとすごく良かったと思います。
今年はそういう年回りだったのかもしれない。考える年。
香港芸能界でもレスリーが逝って梅姐も逝って…そこから人生に関して考えた人もきっと多いだろうと思いますが、私の一年もそんな感じでした。彼らの死も、私にいろんなことを教えてくれました。

そんなわけで、例年よりはワタシ、来年に賭ける希望が強いんですよね(笑)。来年こそはがんばろう!みたいな、ありきたりですが、今年にはついぞ感じなかった熱意を抱いてます。
やりたいこと、やらねばと思うことがいろいろ出てきました。
こんな気持ちを持てるだけでもだんだん上昇してきたかな?って感じですね。
そもそも全く「ヤル気」がないボサーッとした2003年でしたもんで、久しぶりに「目標」だの「理想」だのいう言葉を思い出した気がします。少し気持ちがHOTになってきました。生き生きと生きるのは現状満足だけでは如何ともし難い、と実感。来年は満足しちゃわない自分、っていうのを大事にしようと思ってます。

では。よいお年を!