臨海

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その芥(あくた)、いずこより着たり
お台場の夕景に遊び やがて消えゆく

 

***

 

かすかなる潮の匂いに 
埋もれいし 海原思う 夏は巡りて

 

***

 

この街は幻
それもひときわの。
まるでひとりの人生のような

 

 ***

お台場に行きました。

小さな砂浜を歩きながら感じたのは、深い「刹那感」みたいなものです。
お台場という街は、なんだかものすごく儚い場所のように思えるんですよね...。それが埋立地だからなのかどうかわからないけど。
なんていうかな...同時代性のようなものを濃く感じる。

私が生まれる前はもちろん、死んだ後にもこの街は存在しないかのような「まばたき」の間に何か、生まれたり死んだりするような。記憶をあまり持ってない土地の磁力みたいなものを感じる。こうしている間にもどんどん減価償却してる。たとえば北京なんかとは対極の。
だから、ここに佇んで夕日なんか見ているととても哀しくて...でも、とても「馴染む」感じがします。
たくさんココロが揺れそうな場所だと。そんな風に思いました。

 

帰りのゆりかもめの窓から、空中庭園を自転車で走る父娘を見ました。
いきなり涙が出そうになった。
「時間」というものが、珠玉のように胸に迫りました。
2003年7月20日午後6時。
まだ若い父は幼い娘を自転車の補助椅子に乗せて、夕暮れの中で笑っていました。
その、絶対に戻らない時間というのを強く意識した。
私にも、うんと昔にあんなことがあった。
私の娘にも、そんな時間は確かにあった。
誰にでも、きっとそんな珠玉の時間はあって...。幸せならそれだけ、たぶん不幸よりもせつない記憶として胸に残る。
サヨナラばかりだなー、人生って。
私たちは片道の線路を、誰もが休みなく進んでいるのだから。もう、それだけで。ねぇ。
そんなことをフッと思ったりしてしまった夕暮れでした。