想像外の世界

マレーヴィチを全然知らない人が、アタシの萌えぶりに触発されてその絵を「どんなものかな?」と興味をもって図録なんか見てみたら、きっと「へ??」と思うかもしんない(笑)。
ふと、それを思ったら可笑しくなった。

端的に非芸術的な言い方をすれば、マレーヴィチの絵は「ただの正方形」だからです。
それとか、「ただの直線」「単なる図形のようなもの」(基本的にはこういうのがマレーヴィチの正統的絵画)。
たぶん見方によっては奇をてらってる前衛、って風にも思えるんだろうけど、そうではないの。
理屈はちゃんとあるし、理屈以上に見ればわかるものがある。
これをただの図形ではないと思える感性があったら、絶対にハマる。

たぶんキュビスムなんかもそうなんだろうなぁ。
私はピカソの良さがわからないんですが、わかる人が世の中にはちゃんといて、その人たちの感性と私のそれとは全然違うんだと思う。
それはやはり壁みたいなものだろうね。
壁は越えられるものでもあるし、越えられないものでもある。
でも、壁のこっちがわで「ピカソっていいよね」って言ってる人と、向こう側で萌えてる人とは全然違う感性だろうな、とは思う。

どんな画家でも、そういうのはあるんじゃないかなー。
たとえわかりやすい印象派絵画やPOPアートなんかでも。
「わかってるつもり」と「心から萌え」は感性の次元が違うのかもな、と。