「ハリー・ポッターと秘密の部屋」

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これ、16日の土曜日に先行ロードショーを観てきました。前の晩から「賢者の石」を再度ビデオで見直して、準備も万端で臨んだのよ(笑)。
あのー....実は、前作公開時に観に行った映画館というのが、我が街でサイアクのヘボ劇場でね~丸々と太ってデカくなったドブネズミが足元をドタドタと駆け回るという(!)信じられない場所なんですよ。で、ちっとも映画に集中できなくって(子供たちは泣くし(笑)←ある意味「ホグワーツ」的環境だったりする)、よく観てなかったんですよね。
そのせいか、しばらくは「ハリー・ポッターって、勧善懲悪で深みがない。つまらん。」なんて思ってたのね。
でも、その後ビデオでもう一度観たら、実は面白いじゃないの!ってことに気づいたのでした。子供のものだから、勧善懲悪でもいいのね。そういうところに難癖つけるもんじゃないんですよね(笑)。それ以上に見るべき所はたくさんある。
そんなわけで、わりと2作目を心待ちにしていたりした私。
実は結構、この物語、好きなんじゃないかなーと思ったりも…って、原作読んだりまではしてないんですけど(^^;。こういうのをにわかファンっていうのでしょうな。あ、でも、本作を見たら続きの作品(「アズカバンの囚人」)を読みたくなってしまいました。「児童向け冒険小説を読む」っていう状況って実は私の義務教育以降の人生には皆無なんですが(爆)。

さてさて、この映画。前作にも増して面白かったです。
一つはすでに一作目を通して、見る側にキャラへの愛着が芽生えているという連作モノ特有の理由もありますが、それ以外にも、ミステリー仕立てのストーリーが今回はちょっと複雑だったりとか、特撮が一段と精彩を放ってるところなどはかなり見どころかと。

ハリー・ポッターダニエル・ラドクリフ)、ハーマイオニー・グレンジャー(エマ・ワトソン)、ロン・ウィーズリールパート・グリント)のお馴染み3人組の子供たちも、ちょっとだけ大人っぽくなってて、演技がすごくナチュラルでした。(どうでもいいけどハリー役のダニエル君って、見るたびにかすかに安達祐美が入ってるような気もすんだけど…私の気のせいでしょか)
インタビューのDVDを見て感じたんだけど、この3人って「素(す)」の個性が役柄に絶妙にマッチしてるんですよね。子役の場合、演技力以上にそういったのが大事なのかも。キャスティング、大成功、って感じ。(ハーマイオニー役のエマなんて、ハーマイオニー以上に利口そうなの!)
2作目になって、ハリーは尚一層その表情が理知的な少年に、ハーマイオニーも髪のボサ加減も少し収まってレディらしく可愛く、ロンは急に背が伸びた(?)って感じになっておりました。
子供の成長は速いよ~(笑)。うかうかしてられないー
噂ではこのキャスティングで撮影するのは3作目までだとだ?
馴染んでるだけに、降板とは寂しいですね。
監督のクリス・コロンバス自身も監督から手を退くそうで。かつて「ホーム・アローン」で前途有望な子役をスポイルしてしまった(いや、これはコロンバス監督のせいではないけどね、全く)、という後悔の念がいまだにトラウマになってるのか(?)、監督はできれば(ハリポタの)子供たちをこれ以上使いたくない、という気持ちが強いそうです。それもまたわかる気がするケド。
てなわけで、「炎のゴブレット」はどうなるんでしょか?ってのは今からファンの人たちの間では気になるところでありましょうね。

今回は相変わらず意地悪な叔父一家に軟禁状態にされてるハリーのところに、親友のロンが「空飛ぶ車」で迎えにやってくる、というダイレクトなオープニングの展開。
前作みたいに人間関係を繋げてゆく説明が要らないから、話のテンポがいい。
アタシは実はハリーよりもロン・ウィーズリーがお気に入りなので(笑)、ロンがちょっと頑張って男気を出してくれるシーンがあると嬉しいのー。ま、この最初の勇敢なる救出劇以降、ロンは案の定、からきし弱虫君になってしまうのだけども(笑)、その「イケてなさ」もまた可愛いのでした。
「なめくじ」(しかも尋常でなくデカイ)を吐き続けるシーンなーんてのがあるんですが、まさに熱演!こんなにイケてない役柄をキュートに嬉々として演じるルパート・グリント君は大物ですわ!

私がロンを好きなのは、彼の役割がまさしく「太陽」だからであります。
キュートでファニーな小さな太陽。
ロンがいるからハリポタはかろうじて明るいストーリーになっていると思う。
ハリーという少年は勇気があり、正義感に燃え、理知的で優しい少年なんですが、いかんせん翳がある。少年らしい無邪気さの中にも、逃れられない暗い翳が見え隠れするのね。それは「宿命」のせいでもあるのだけど、それ以上にハリーがアダルト・チルドレンだから、なんだろうと思うのよ(そうなる状況は1話でくどいほど描かれています)。
だから、ハリーにはどうしても「心の支え」が必要なんです。それがないと、高い能力を持っていても孤独、というか。可哀相な男の子なの。
そこで、能力は低い(?)ながらも、暖かい心を持ったロンの存在が欠かせないものとなる。
ロンは魔法族の大家族で育った子で、同じ学校に通ってる3人の兄&すぐ下の妹の他にも2人の兄がいる。そして、威勢のイイお母さんと、役場勤めの気さくなお父さんがいて…もちろん全員魔法使い。ロンはハリーの一番の憧れ(家庭とか家族の愛情)をごく普通に持ってるんです。
家は貧乏なんだけど愛情に包まれた環境は、彼を明るい性格に育て上げている。
勉強ができないとか、弱虫だとか、コンプレックスは絶えないけど、ロンの場合、それが翳にはならないでチャームになってるんです(笑)。
きっとハリーは本能的にロンといるとホッとするのだと思う。愛に満ちて育った子というのはその存在だけで癒しになるとも言われるしね。

そして、今回の「秘密の部屋」では、もう一人の仲間・ハーマイオニー・グレンジャーも実はアダルト・チルドレンだったってことがわかる。彼女の両親は「マグル」=人間、なんです。それは魔法使いの世界では邪道な血筋として蔑まれる対象なのね(代々続いた魔法族の家系ではないので(笑))。
その為にハーマイオニーガリ勉して立派な魔女になることで、自分を取り巻く差別的な視線を必死で見返そうとしている。悲壮感がある。
自分の「宿命」に対して最大限の能力をかけて立ち向かってゆく痛々しいまでの決意、ってのは、ハリーとハーマイオニー共通の感覚なんです。つまり二人は「同志」。そのつながりはきっとすごく強いだろうなぁ~と。

今回、事件が解決した時に、ハーマイオニーがハリーとロンのいるところに駆け寄ってきて、思いっきりハリーに抱きつき、次にチラッとロンを見て抱きつくのをためらってやめるというシーンがあったんですよ(笑)。
ちょっと笑える感じに(わざと)している。
このシーンを見て、子供たちは「あー、やっぱりハーマイオニーはハリーが好きなんだ!」なんて単純に喜んでコーフンしたりするわけなんですけど(笑)、私はこれ見て別の意味でワクワクしちゃって。
それはなんというか、ものすごく初々しくも自覚のない「恋の想い」が感じ取れたからなんですよ~。ハーマイオニーの「ロンに対する」想いをね!え?違います?違ってないと思うわー。

ハーマイオニーはもちろんハリーが大好きなんですよ。
彼女にとってハリーは「心から信頼し、大好きな親友」だもんね。
もう、大衆の面前で臆面もなく抱きつけるほど、そこには照れも恥じらいもない。
だって親友だもの!愛に溢れた関係。同志は不滅だ。
でも、いざロンに同じようにしようとしたら、できなかった。
それはなぜか?
照れたからでしょ?嫌いだからではない。
ハーマイオニーは、自分と違うロンの存在を急に意識したんだろうなー、と。
「違う」というのは、ここでは抱えた宿命の違いや、自己認識の度合いの違いだったりで説明されてるわけですが、それが実のところ「性差」にも抵触するんでは?と私は思うわけ。
自分と違う、男の子。
その存在はわからないからイライラするし、頭にもくるんだけど…でも、きっと気になっている。気になって気に触って「なによ、アイツ」とぷんぷんしてるうちに、だんだんその感情はある方向に引っ張られてゆく。
ハーマイオニーのロンに対する小さな拒絶は、今はまだ漠然とした羞恥でしかないけれど、これはいつか恋に発展するかも♪という萌芽を感じさせるに十分な雰囲気を感じますが、どう?
なんてね。これは深読みシュミのオトナの意見だっつーことでヨロシク(笑)。

なにはともあれ、こうして世界中の子供が喜ぶ映画…しかも経済的な効果も抜群で、エンタメ性も高く、芸術的でもあり、子供に読書まで促し、前向きで元気が出る映画…は、やはり映画の王道と言えましょう。
まずはその作者達に敬意の意を表したい思いでいっぱいですわ!

ハリー・ポッターと秘密の部屋 (字幕版)

ハリー・ポッターと秘密の部屋 (字幕版)

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video