皐月満開



お花の皐月(サツキ)です。
散歩の途中、あまりにキレイなので撮りました。
ギッシリ!って感じで咲いてますね。朝のラッシュ時の埼京線みたいにギッチギチ。


サツキはウチの市の花です。
ツツジとサツキは似てますが、違います。サツキのが小さい花です。
決定的に違うのは季語です。
ツツジは「春」で、サツキは「夏」。
咲く季節が違うということね。
我が地元のゆるキャラ「ミヤリー」のモチーフともなってます。
ミヤちゃん、可愛いでしょ〜。



【今日の言葉】


ああここにおれの進むべき道があった!ようやく掘り当てた!こういう感投詞を心の底から叫び出される時、あなたがたは初めて心を安(やす)んずる事が出来るのでしょう。容易に打ち壊されない自信が、その叫び声とともにむくむく首もたげて来るのではありませんか。


夏目漱石 1914年(大正3年)学習院卒業式での講演「私の個人主義」より)


自分が本当にやりたいこと、これこそがと思える自分の仕事(いわゆる「天職」)を見出すことが、人生においてどれだけ大切かということを熱弁する漱石の言葉です。
天職に出会い、一心に働くことは自信と安らぎをもたらす。なぜかというと、それが唯一無二のその人個人の個性の発露に他ならないから、と漱石は説きます。
まさにそれは生きる喜びです。
漱石ほどの人さえ、この境地を単純に得たわけではありません。悩み苦しみもがいた末に得たのです。「天職」がはじめからわかっていたわけでもありませんでした。日々の仕事(教職)が空疎で、常にここではない”自分の本領”がどこかにあると思っているのです。その「どこか」に思い切って飛び移ろうにも、どこに向かって飛んだらいいのかわからず、でも、たえず中腰で(いつでも飛び移れる姿勢で)日々の生業に身を置いていた、との告白をしています。


大先生ですが、すごく身近に思えて励まされます。


人生をクリエイトするのは他ならぬ私自身だと自覚しながらも、どこか肝が据わらない感じが自分でもどうにもならず、イヤです。
”自分の本領”を見極めたいなぁ
……なんて言ってるのがハタチやそこらの若者ではないのが空恐ろしいですよ。漱石の享年まであと2年、という歳にもなってこんなことを考えているなんて。
ダメすぎだわ。
であるにしても、ですよ。人生は常に「途上」なんですから、諦めずに探すのです!