武蔵野


毎日エレカシを聴くようになって1年経ちました。
いいんだか悪いんだかわかりませんが今やすっかり「信者」です。
既存アルバムを繰り返し繰り返し聴き続けていると、螺旋階段を昇り続けているような感覚に陥ります。
ぐるぐると同じところを廻り続けていて、見える景色も同じなんだけれど、見る高さだけ少しずつ変化してゆく感じ……というかね。
高さの変化は理解力だったり共感だったり。
同じところでくすぶっている不全感と、変わらぬ環境の安らぎと、日々老いてゆくオノレのわずかずつ変わってゆく感覚と。


一年前のある日を境に(ほんの些細なきっかけで)エレカシを聴くようになり、すごい勢いで惚れ込んでいったのだけど、その「激落ちポイント」となったのは「武蔵野」という曲で、エレカシにかなり詳しくなった今から思えば、なんというか、「そこだったか」みたいな、わりと奇妙な激落ちポイントだったことに気づきます。
こんだけエレカシを聴きこんだ今でも、やっぱり「武蔵野」は特別な一曲です。
この曲が持つイメージは、夏の初めの湿度の高いこんな季節です。
それは単に私がこの曲に夢中になったのが今くらいの季節だったからなんだけど、これはもう揺るぎがない。




【今日の言葉】


職場のすぐ近くに鉄塔がある。仕事が終わって外に出て、空を見上げるといつもその鉄塔が目に入る。その風景を見ながらエレカシの「武蔵野」を聴く。その瞬間がめちゃ好きだ。ぞくぞくするほど。


(去年の七夕の日、私がブログに書いた言葉)


当時やってたこの仕事はすごくシンドくて、私は毎日仕事終わりのこの「瞬間」をすごく楽しみにしてた。
解放感と共に見上げる空に、「武蔵野」が響き渡る瞬間を。
当時はいっぱいいっぱいで、この気持ちを表わす文章の表現が稚拙なのが今思うとイトオシイ。修辞に気を遣う余裕もない、素直な心の叫びだ。だから記念にこの一文を置いておく。
のど元過ぎれば…で、今ではあの時の感覚はうっすらとしか残っていない。
貴重な経験を積んで、学びも気づきもいっぱいあったはずなのに、ほとんど忘れちゃってる。
残念なことだね。
ただ、「武蔵野」を聴くと、今でも鉄塔の聳える夏空を思い出す。
その風景を眺めながら自分の無力さを嘆いたはずなのに、なぜかそのシーンが、今ではいい思い出のように胸に残っている。懐かしさまで覚えちゃったりするから不思議だ。
私がノー天気だと言われる所以か(^^;