新曲「迷途羔羊 Lost in Connection」


兄弟本色の新曲がUPされてましたので貼っておきます。(オフィシャルです)



阿嶽がいつまでこのグループに関わってゆくのかよくわかりませんが……
新曲、また出たわ。
べつに阿嶽がやらなくたっていいような曲……なんだけど、こまっかいところがやたら凝ってるのがニクイです。音の処理がいちいち巧いんだよなぁ。才能だね。

てか、声!!!!!

好きすぎて泣く(ノД`)・゜・。


この声が聴けるなら私はどんな駄曲でも聴くよ。
とはいえ、やっぱり阿嶽が駄曲を歌ってるのはおもしろくないです。
駄曲でも声が聴ければいいとか言ったって、そりゃそんだけ阿嶽の声を愛しているということで、曲なんかどうでもいいってわけではないですからねあたりまえだけど。
あーもー早く兄弟本色の活動終わらんかなー(←結局ココ)。


曲中には「SuperBand(縦貫線)」の「亡命之徒」のフレーズも入ってます。
阿嶽は兄弟本色も縦貫線みたくとらえているんだな、というのが伝わってきた。
つまりこのユニットは「仲間」であり、でも「企画」であり、そこに「自分の役割」のある「仕事」だ、ということなんすかね。
ココにいる阿嶽は素顔の阿嶽とは少し距離がある、というのをこうしたレトリックによって伝えてる感じがします。
……ってのは当然ながら私の邪推だらけの解釈です悪しからず。


私は阿嶽の曲を聴くときはいつも、いつだって、阿嶽の声を全部受け止めるように神経集中させて聴きます。
音楽としてトータルで聴く、という感じよりも、「阿嶽を聴く」のです。
最初の頃は違いました(純粋に曲が好きだった)が、最近ではいい意味でも悪い意味でも曲は阿嶽を感じる「よすが」です。
曲と、詞と、声と、構成されたあらゆる音の中から、彼が何を伝えようとしているのか?何を思ってこう表現したのか?と、阿嶽の心の在処をどうにかして感じようとする。
この声の、この音の、意味は何か?と全身全霊で読み取ろうとする。
ほぼ霊感というか、邪推の域です。
この感覚が高じて、私には「これは絶対私に書いてくれた曲だ」と確信している曲まである、という痛さです。アイタタタ…


こんだけ毎日浴びるようにエレカシを聴いてても、こんな聴き方をしたことってないですからね。
思えば私はミヤジがどう思って曲を作ったかなんて、ほとんど考えたことがない。
エレカシの曲を聴く基準はあくまでも「私」。「私」の胸にドンピシャで来るともうミヤジの歌はそのまま私の心の声になる。
私がエレカシを好きになった理由は、そこに「私」がいたからなのです。
私の聴くエレカシは、私のもの。
だから「曲の解説とかいらないし」とか思っちゃうんですよね。
作る方がどういうつもりで書いていても、要はこっちがどうとらえるかなので。
でも、私は阿嶽の自曲解説だったらどんな細かい事でも聞きたいんですよね(汗)。
私にとって、阿嶽の曲は阿嶽自身なので、藁にもすがるような想いで知りたいのです。
阿嶽の曲の前では私は借りてきた猫になるのです。
解放はされない。むしろ囚われる。ドツボにハマると疲れます(^^;。
あーでも兄弟本色の曲ではそこまでのチカラはないな。囚われることもない。
早くこのユニット終わんないかなー(←やっぱりココ)。