雪の記憶

滅多に雪が降らない場所(北関東平野部)に生まれ暮らしているので、雪の記憶は少ないです。
こんなに寒いこの冬でさえ、積もった雪ってのをまだ見てないですからね…
だからこそたまに巡りあう雪のある情景が、ながいこと忘れられず心に残ったりします。


一番記憶に鮮やかなのは、10年くらい前(今みたいに韓流ショップだらけじゃない、もっと寂れていた頃)の新大久保での雪の情景です。
降りだした雪を避けるように、友人達と入った中華料理の小さな店。
夕食時だというのにお客は少なくて、私たち以外にはほとんど人がいなかった。
表通りの喧騒は閉じられて、店内には小さな音量で胡弓の曲が流れていた。
旧式な石油ストーブの上に載った薬缶が時折音を立て、窓辺にはランタンの赤い灯が揺れていて。
ぼんやりと目をやると、朱塗りの窓枠の向こうに、降りしきる雪が見えた。
友人との会話は間が空きがちで、明るい話はあまりなかったように記憶してる。
「これからどうしよう」とか「人生そんなもんか」とか、そういう類の話だったか?
私はダイコン餅を食べ、豆苗炒めを食べ、豚の耳を食べ、それをどこか遠いところでのできごとのように上の空で聞きながら、阿嶽のことを考えたり、留守番の家族のことを思ったりしていた。
胡弓の音、暖かいストーブ、ジャスミンティーの匂い。
宵闇の中降る雪と、窓ガラスににじむ赤い灯と。
暖かくて、気だるいその場所に、先の見えない人生やら、言葉にならない思いやら、憧れやら、セツナサやらが溢れていた。
そういう記憶。
何か特別なことがあったわけでもないのだけれど、強烈に心に残り続ける忘れられない雪の日の情景です。


その時もそうだったのだけれど、私ね、雪景色を見るといつも阿嶽を思うんですよ。
阿嶽がインタビューの中で「忘れられないものは、日本で見た雪」という話をしていて…それがすごく印象的で。
しかもその話は、私のことをあれこれ話してくれたインタビュー(そういうお宝が存在するのダ)の中で言ってたもんだから、話の流れ的に、なんだか自分が阿嶽にとっての”日本の雪”になったかのような気がして嬉しくなったりしちゃうの。
私自身がほとんど雪に縁がないくせにナニ言ってんだかって話ですが(汗)それはおいといて。
南国育ちの阿嶽にとっては、雪は異質な存在なわけですよ。
自分の住む世界とは別の場所にある、馴染みが無くて、落ち着かなくて、理解しにくいものです。
だからこそ興味がある。惹かれる。ほんの短い間だけそこに居たくなる。珍しいから触りたくなる。でも、触ったとたんに消えてゆく。そして、その記憶だけがいつまでも心に残る…。
私の存在が、ほんの一瞬でも阿嶽にとってそういうものだったとしたなら、そりゃもう、言葉にならないくらいステキだなぁ…というね。
雪を見るたびにそういうハンパなくロマンティックな妄想を抱くのです。
そして幸せな気分になる。
……重症だね。バカと言ってくれ(哀)。


阿嶽の歌の中で、雪のイメージのあるもの…といったらこれか↓ということで、置いておこう(でも作詞は阿嶽じゃないのです作曲のみ)
もう、大っっっっ好きなPV。
どんだけこのターシーになりたいか、って話だ。羨まし過ぎて泣きそうになる。
まだちょっとだけ子どもっぽい若い頃の阿嶽がたまらなく可愛い。