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卒業式

diary

ボクちゃんが小学校を卒業しました。
6年前の入学式は、東日本大震災の余震がまだ毎日続いてた頃でした。
式の最中も大きな揺れが何度もあって、古い体育館の中でひやひやしたものです。

あの時の体育館も建て替えられて、新しい体育館で迎えた卒業式。
当時、被災地の福島から避難して来てこの学校に入学した数名の子たちのうち何人かは、卒業を機に故郷へ帰るということです。
長いようで、あっという間の6年でした。
幼稚園の時から一緒だった仲間たちも、それぞれ別々の中学に進学するので離れ離れとなります。
卒業式の後、みんなで幼稚園まで遊びに行って感傷に浸ってきたようです。
オトナでもなく、コドモでもなく、シシュンキでもなく。
「児童」と「生徒」の境目にいる子どもたちは、不思議な純粋さの中にいるような気がします。
見ていてとても楽しいのです。
もう少し、この楽しい時間が続くといいな。

 

今日は私にとっても、すごく嬉しいことがありました。ボクちゃんのおかげで。
すごくすごく嬉しくて、ホントにもう、いろんなことが報われたような気分になってます。感謝感激。
ボクちゃんの卒業と相まって、一気に心の中に春がやって来た感じです。
この勢いに乗って私も頑張ろう!ってテンション上がってきました。今度は私の番!ってね。更年期だからとかショボショボしてる場合じゃないぞー。

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「劇場」

Mattan

マッタンの新作「劇場」を読みました。
ネタバレあるかもですので、知りたくない方はパスしてください。



マッタンの初めての「恋愛小説」として紹介されているこの作品。
予想していたとおり…というか、予想していた以上に、(マッタンのファンであれば周知である)「池尻大橋の彼女」の話でした。
注:「池尻大橋の彼女」(以下「彼女」)というのは、マッタンのエッセイ集「東京百景」で触れている昔の恋人のこと。その文章への私の思いはかつてこちらに↓書きました。

freakyflower.hatenablog.com


ここで私は「マッタンにはぜひ物語の完遂を目指してもらいたい。」と書いていますが、これはリアルな(つまりこの彼女とよりを戻して欲しいといったふうな俗っぽい)意味で言ってます(汗)。

 

二作目が恋愛小説だと聞いたときから、その内容が「彼女」の話になるであろうことは薄々感じていました。
ていうか、もしそうでなかったらどうしよう、ちょっと違うんじゃないの?ってくらいに、私の中では「彼女」の存在が大きかった。マッタンの恋人は「彼女」しかいない、という感覚が私の中にありました。あのエッセイの一文からすでに「彼女」は虚構(物語としての)の中に生まれていたのです。
マッタンはきっといつか小説の中で「彼女」の話を書くだろうと思っていたし、そうであってほしかった。こんな早くにそれを読むことができるとは思いませんでしたが。ぶっちゃけ感無量でした。
タレント・ピースの又吉のファンとしても、作家・又吉直樹のファンとしても、この話はとてもとても読みたかったものだったので。(もちろん小説と現実は違いますが、知りたいのは厳密に言うとそこではないのです。これが私小説であるかどうかはそんなに問題ではない。事実であれ虚構であれ、作家本人の感情の動きを読みたいのです。)

 

エッセイが映画の予告編だとしたら、「劇場」はその本編という感じです。
予告編見ただけで泣いてしまうほど好きだった物語ですが、本編はかなり様相が違いました。
予告編のセンチメンタルな情緒をまるっと覆す圧倒的な「一人の男の告白」がそこにはありました。エピソードの雰囲気や「彼女」のイメージなどの大まかな姿は重なれども、もちろん基本的には全然別の話だという前提の上での話ですが、それにしたって印象が全然違うんですよ。
エッセイでは輪郭がとらえにくかったマッタン(主人公「僕」はマッタンですね、どうみても)の存在が、小説では文字通り主人公であるので「僕」の立場で「僕」の思念が延々と語られている。圧倒的な迫力で語られまくり、「僕」の物語になっているのです。これがわりかしエグイんですよ。赤裸々なので。ようここまで書いたな、という感じであまり人に言いたくないような恥部まで晒しています。


でも一方、「彼女」のことは見えそうで見えない。いい感じで柔らかなものにくるんだ状態で出してるような感じです。
当時のマッタンも(たぶん)見えていなかった「彼女」を、現在のマッタンもうまく表現できていないともとれますが、あえて書いていないのだという気もします。そこは、「彼女」(どうしても現実にいた彼女とダブらせて読者もよんでしまうであろう)を守ったというか、抑えた感じがします。そこがまた効果を上げているんですけどね。
萎れゆく花のように、どんどん悲し気に元気がなくなっていってしまう彼女を、どうしてそうなってしまうのかわからずにイライラしたり焦ったりする「僕」。主役はあくまでも「僕」であり、「僕」のあがきや焦燥や自己嫌悪です。これでもかというほどに精緻に表現される「僕」の感情の動きから、生々しい現実が浮き上がってくるのを感じます。

 

予告編では曖昧だった情緒的なものが、ことごとく説明され言語化されて明瞭に見えてくるごとに、正直ツラいものがこみ上げてきます。
それがとことん現実的(つまり残酷でもあるもの)なので、わりとずっしりとした小説になっているかもしれません。
甘くない恋愛小説です。
全く甘くないチョコレートだって、チョコレート(むしろ純粋にカカオ90%とかの)として存在するように、もしかしてこれも純度の高い恋愛小説なのかもしれませんが。

 

それと。この小説のもう一つの主役が、東京という場です。
すべては東京という場から始まっている。
東京にこだわる心性というのは確実にあって、それがあるヒトとないヒトはたぶん世界が違って見えているんじゃないかってくらいのものだと思うんですが、東京に拘泥するゆえに生まれてくる感覚がなければ、こういった「恋愛小説」もまた生まれない気がします。
この小説の、そこが私の最も好きなところです。
東京の小さなアパートのさらに小さなソファーの上で「ここが一番安心」と寄り添う二人。大きな都会の、小さなサンクチュアリ。大勢の人たちの中の、たった一人。
そこが「一番安心」ゆえに、感情を解き放ってしまう「僕」を既視感なしに見ることができません。

そもそもこれは恋愛小説なのか?
題材は恋人同士の話だけれど、男女の恋愛話というよりも、恋人という名の聖域の存在をマッタンは描いているように思えます。
ほんのわずかな性的描写さえない理由も、そこにある気がする。
身体的な感覚をまるっと無視し、感情だけが濃厚に折り重なってゆく恋人同士の話を読んでいると、恋愛という情動より、自我や仕事や創作や確執や競争や嫉妬や孤独やそれを全部ひっくるめた東京という町や…そういうもろもろの重い荷物の中にポツンと灯った小さな明かりのように「彼女」の存在があるのを感じます。
不安定に、揺らめきながら灯るその明かりは、それだけで帰るべき「家」なのかもしれない。でも人は往々にして家では言いたい事を言い、自分勝手になるものなのです。


マッタンはこんなに大切な物語を虚構の世界にあげてしまったことで、誰もかれもが自由に食い散らかすのを許さねばならない立場になってしまったのをわかっているのだろうか?
……と不安になる。

大丈夫なんだろうか。
どうか後悔のありませんように。
私はこの作品で、マッタンの小説家としての覚悟を感じました。
どんなに迷ったか、どんなに苦しかったか…それでも書いたマッタンの気持ちを尊く思います。
だから、私はこの物語をずっと大切にしていく。
マッタンの書く「彼女」はとてもきれいで純真で、透明感に溢れていた。それだけで、もはや愛だ。
「彼女」は、私の胸にも明かりを灯しているよ、とマッタンに伝えたい。今も、そしてこれからも、日本国中にその明かりが灯っているんだよと。
どのみち、もはや物語は動き出してしまった。
小説家の苦しみと歓びも同時に動き出してしまった。
時は戻らない。
戻らないのならやはり書くしかないんだね。書くことでしか、きっと答えは出てこない。
これからも思うままに書いていって欲しいと思います。ますますマッタンの書くものが楽しみになってきました。

新作!

Mattan

今日、マッタンの新作「劇場」(が掲載されている「新潮」)がアマゾンから届きました。
発売日だった昨日は書店に行かなかったのでわからないけど、今日はもう近くの書店のどこにも「新潮」は置いてありませんでした。
即完売!
怖い!
なんでこんなに人気があるの?!
「新潮」、急遽増刷になって5万部だそうで…なんかもう、凄すぎてビクビクしちゃいます。

でも良かった。2作目だといろいろとハードル高いだろうし、どうなるんだろうと思っていたけど、売り上げは良さそう。売り上げが良ければ、次もある。ホッとします。
やっぱりアマゾンで予約入れといて良かった。書店で平積みになってる情景を想像してた私は実に甘かった。そんなショボいのとちがう!さすがマッタン。大先生といわれるだけのことはある。
先生はすでに私の想像をはるか越える地平に佇んでいた。見上げても眩しくてもうその輪郭さえ判別できないレベル。
てか、みんなマッタンのこと大好きじゃん!
そりゃそうか。当然だわね(´-`).。oO

 

ところで。
今日の「笑ってコラえて」でやってた”日本列島綾部の旅”が、めちゃめちゃ面白かったです!”さよなら綾部”と銘打った、ピースの2人の旅ロケ。
ベーちゃんのチャームをよーーくわかってる人が作った企画でした。
べーちゃんの面白さって、”意思疎通のできない相手に翻弄されまくる”という…「ふりまわされキャラ」にあるんですよね。てか、ほぼこの路線でしか面白さが発揮できない(かなり他力本願な)ポンコツぶりがチャームだと、個人的に思ってるんですけどw
ピースのネタでも、「ワケのわからないヤツ(又吉)にふりまわされる親切なちょっとおバカなヒト(綾部)」というパターンがいくつもあって、どれも面白いのです。ベーちゃんの面白さを最も理解しているであろうマッタンならではのネタなんだと感じます。ベーちゃんのチャームを生かしてる…というか、そもそもマッタンがそれを発見したのかもしれないけども。
今回の「笑ってコラえて」で、べーちゃんを翻弄するのはワンちゃんの「ハナさん」でした。このワンちゃんが実にお利口で!笑いのツボもわかっているかのような天才ぶり。(なんと!べーちゃんよりギャラが高いんだそうです)
「ハナさん!ハナさん!ちょっと待ってハナさん!」と文字通りワンちゃんに振り回されっぱなしのべーちゃんに腹抱えて笑い転げました。
で、それにくっついてユルッと笑いながらカメラ回す先生(マッタン)に激萌え(´∀`*)
ピース、可愛いなぁ。最高だわ。
今までで一番面白くて可愛くてイトシイ旅ロケでした。
べーちゃんがアメリカ行ってる間、こういうマッタンが見られなくなるのは寂しいな。でも、これだけ本を売ることができるセンセイとコンビを組んでいたら、そりゃべーちゃんだっていろいろ考えちゃうよね。大きな潮流からの無言の圧というか…きっとすごくあるだろうし、マッタンに時間を作ってあげたいとか、お笑い芸人としてのピースの在り方だって考えちゃうだろうし。

いろんな意味で二人とも、今はきっと試練の時だろうなぁ…。でも、頑張って乗り越えて欲しいです。

ここで突拍子もなくアメリカ行きを決めちゃうべーちゃんはやっぱりちゃんと芸人だと思う。生き方が、芸人。それ、マッタンがすごく好きなヤツでしょ。もう、それだけでいいんじゃないかと思うんだよね。
アメリカでいろんなものに翻弄されまくって、テキトーな頃合い見計らって帰ってきてね。

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梅まつり

diary

週末、水戸の偕楽園に行ってきました。
ただいま梅まつりの真っ最中。
渋滞&ド混雑でしたが、満開の梅林は本当に見事で、賑やかな観光地の風情もとても楽しかったです。
あえてイベントのある時期に来るのもいいもんですね。

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私の故郷は梅の産地なので、梅の花の香りはそのまんま故郷を思い出します。
懐かしく、ホッとする香り。

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どこもかしこも人混みなので、なかなか全景の写真が撮れませんでした(汗)。

 

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 園内にあった旧制水戸高校の記念像と寮の鐘のレプリカ。

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偕楽園の隣にある常盤神社に参拝しました。

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こちらも梅酒の試飲会が催されていたり、屋台がどわーーっと出てたりして、ものすっっごい人混みでした。


御朱印、いただいてきました。
ここの御祭神は水戸黄門(光圀)と、斉昭公(烈公)です。

むむむ。ずいぶん近代的な方々…

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お昼は「アメリカ屋」でステーキ!ウマし!

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NHKスペシャル「又吉直樹 第二作への苦闘」

Mattan

新作の発売を前に、またマッタンの周りがザワザワし始めました。
私の気持ちもザワザワする。(ミゾミゾする?@カルテット)


「火花」が掲載された時の「文学界」が買えなかったトラウマがあるので、今回はアマゾンで掲載誌を予約したんだけれど、今回も失敗だった気がする。

つまり、書店に大量入荷した「新潮」をしり目に、「こっちで買っときゃよかった」と思ってる自分を今から想像しています。(「火花」の時は逆の判断で、なんと買えない!という想定外の事態に見舞われた。書店を応援しようという気持ちが仇に…)
発売日過ぎても私の元には届いていないという予感。

運送業界が今、ものすごくタイヘンなことになっているので(ヒトゴトとは思えない)、即日配達の申し込みもしていない。

遅れてもかまわないんですよ。手に入れられない、という事態だけは今回はないのだから、とりあえず安心していいはずなんだけど…夢の中に書店で山積みになった「新潮」が出てくる。
あそこで買えばよかった。そうすりゃ宅配の手を煩わせることもなかった。あそこで買えば売れ残り感を少しでも減らせたのに…と夢の中で私は思う。
とにかく、また己の判断ミスで置いてけぼりをくらった感があります。
いつでも私は、勝手に置いてけぼりをくらう。

 

表題のNHKスペシャルを見ました。楽しみにしてた番組。
NHKさんは相変わらずマッタンが大好きで、マッタンが芥川賞をもらう前から贔屓にしてくれていて、いつも嬉しく思っています。
執筆が佳境に入ったマッタンに密着してその日々を追う、というドキュメンタリー。
マッタンは相変わらず孤高で、真摯で、ものすごっっくカッコ良かった。

ものすごっっく安心した。

マッタンがいてくれる、その絶大なる安堵の中にずっと浸っていたいと思いましたよ。
普段見られない表情なんかもたくさん見られて、ファンとしては嬉しかったし、製作者のマッタンへの愛情や興味、応援の目線、作品を売ろうという姿勢も感じられました。

けれども、だ。
この番組の構成はクソみたいだった。
ドキュメンタリーの途中、しばしば新作のフレーズが挿入されるんですよ。
油断してたら冒頭の文章、まるっと聞いて(&字幕を読んで)しまったよ。
唖然呆然。マジか。


いらんことすんなや!!


もしかしてこの番組作ったヒトって読書しないヒト??
バカなのか?
ドS野郎か?
大好きな作家の新作が出るという時にさ、自分、まだ一行も読んでないっつーのに、ちょこまか抜粋された文章を目にしたいか?
しかもその抜粋は番組を作ってる人間のフィルターにかかった文章だ。
知らない誰かさんが独善的に選んだ抜粋だよ。
そんなもん聞きたくないっつーの。
以降、番組中ちょいちょい入る朗読が聞こえないように、朗読シーンになると、お嬢(同じく、一緒に番組見ててこの構成に腹立ててた)と、ガーーーッと大声でしゃべり倒していました。朗読が聞こえないように(マッタンのインタビューと交互に出てくるからいちいち音声オフにできない!拷問)。
それでもいくつかの文章は目に耳に飛び込んできた。そして心にイメージを残していった。
被害甚大でしたよー(;´д`)ーーもーー。
文章は、たった一行でもイメージを与えてしまうんですよ。
そして一度生じたイメージはもうなくならない。世界が生まれてしまう。生まれたものは存在してしまう。
楽しみにしていた作品は、できるだけまっさらな状態で向かい合いたいのに。
どんなストーリーか、ってこと(あらすじ)を聞かされるよりも、私の場合は文章の抜粋のが遥かにキツイです。
ストーリーだって知りたくない人は知りたくないでしょうが、私はそこはわりと平気なんです。でも、文章はダメ。その表現そのものが作家そのものなんだもん。マッタンの場合は私は常に「そこ」を見ているので。
そうでない作家ももちろんいますよ。たとえばミステリの場合は当然ながらネタバレがNGなわけでしょ。そこが大事なんだから。そういうことですよ。
制作側は、とくにマッタンのファンを対象に番組を作っていないんでしょうね。フラットな人たちを対象に、「これ、おもしろそうでしょ」「おススメですよ」のノリ。だからパッケージの中をチラ見せして興味をそそる。
わかってます。お商売の基本でしょうよ。でも私はイヤだった。番組全体が嫌だったわけではないので、複雑な気分です。ありがたくも憎たらしく嬉しいけれど腹立たしい番組でありました。

 

マッタンが作品を書くと、また業界のいろんな人がピラニアみたいにマッタンに容赦なく吸い付いていくのを見ることになるのだろうなぁ…とちょっと萎えるような気持ちになるります。こういう不本意なことにも遭遇する機会が多くなる。
マッタンはまたその戦いに挑もうとしてる。怒涛のような狂乱に身を投じるにはさらに覚悟がいるだろうに(2作目はさらにいろいろ言われると思うし)。
本人が頑張ってるのに、ファンがグチグチ言ってちゃしょうもないね。ちゃんと見届けなくては。


新作発売から間もなく、ベーちゃんのアメリカ武者修行も始まります。
これも、マッタンのことを考えての行動だと思ってる。ベーちゃんはそう思われるのすごくイヤだろうけどね。

「綾部がアメリカ行ったって成功するわけねぇじゃんw」とかそこらのバカに言われてるの見ると、胸が痛い。ベーちゃんはバカキャラのままでイイんだろうけどさ。ピースはお笑い芸人なんだから。でも、ベーちゃんのやってることは、実質的にマッタンの一番欲しいもの(=時間)をあげられる。それができるのは自分だけなんだと、ベーちゃんは知っている。
NHK特集見てて一番感じたのが、マッタンの時間の無さだった。圧倒的に時間がない。
ピースの活動が無ければ、マッタンの時間は作れる。でも、マッタンは作家である前に芸人でありたい人だから、ピースがある限り絶対にピースを優先させる。

頑固だし、そこは絶対だ。だからおのずと答えは出る。

「しょうがねぇなぁ!」と言いながら自己犠牲を厭わない男爵(@「バケモノと男爵」というネタ)がふっと脳裏に浮かぶ。ピースらしいコンビ愛です。
ベーちゃんの気持ちがあるから、マッタンも今年は執筆活動、かなり頑張るのではないかな。

 

そうそう。以前ネットフリックスでやってたドラマ「火花」が先週からNHKで放送されてます。
すでにネットで見てたお嬢が、「今まで見たドラマの中で一番好き」と言ってたやつ。猛烈おススメされて、見ています。
映画みたいな質感のドラマです。
主演の林遣都くんがまんまマッタンなのでビックリ。原作で読むよりも、マッタンそのものという感じがするので新鮮です(原作では主人公=マッタンという意識は無く読んだので)
映像で見ると、いろんな場面にグッとくる。
この感覚は小説読むのとはまるで違うもので、ストーリーは原作そのままなのに、全然別の表現を見ている気がします。(だから大事なのはストーリーではなくて表現だとしみじみ…)
小さなアパートで聞こえる街の音、深夜一人で歩く公園、朝焼けの空、明かりの下で開くノートの無限の可能性……若い頃の、お金はないけど夢ばかりがあった日々を否応なく思い出してジーンとしてしまいました。

映像のインパクトはダイレクトに感情を揺さぶってくる。ぶわっと当時の空気感の中に放り込まれるというか。
こういう日々を暮らした若者が、数えきれないくらいいる。

私もその一人だった。私もかつてあの場所にいた。
可能性を夢みて暮らすほとんどの若者が、少しずつそこから遠ざかりながら大人になる。この物語の主人公もそう。

でも、マッタンは違う。違うからこその視点が、基軸にある。だからマッタンの書く文章は胸にクるのかもしれません。「冷たい水の中をふるえながらのぼって」(@中島みゆき)いく、その姿にかつての自分を重ねているのかもしれない。

 

マッタンの執筆風景。

この髪型にしてる時のマッタンが一番カッコイイ(私も真似してこの髪型をよくしていますw)

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フィリピンとタイのお土産

diary

定番のバナナチップス、椰子糖(ヤシの皮に包まれたゆべしのようなお菓子←これ、奇妙だけど、結構美味しいかったです)、ジムトンプソンのスカーフ、それとドライマンゴーたっぷり、いただきました!

ドライマンゴーは小さく切ってプレーンヨーグルトに一晩付けておくだけで、マンゴーが戻ってプルプルの美味しいフルーツヨーグルトになるんですよー。

かつてはドライマンゴーもらっても持て余して捨てたりしてたんだけど(汗)、この方法を知ってからは、わざわざ買ってきて食べたりもするようになりました。

 

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Fラン

NEWS

ジャニでは入所のオーデションの際、上からA~Fのランク付けがされるのだそうです。

 

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今をときめくセクゾの勝利くんの場合は……

 

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納得のAランク!

で、慶ちゃんの場合は……

 

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慶ちゃん、入所の時Fランだったのね(涙)。
なんか、納得。

Fランだったのに腐ることもなく頑張ってきたんだよ。スゴイことです。
エース候補がいい結果出すより、そうでない子が結果出す方が何倍も難しいんだからね。叩き上げっすねコヤマサン。


あれから少し冷静になって小山熱愛騒動をじっくり考えてみたんだけど…
これってさ、べつに大騒ぎするほどのことじゃなくない?
櫻井くんの件とどう違うんだろう。似たかよったかじゃん。
どっちもご本人が選んだ人との熱愛報道(慶ちゃんのは「報道」じゃないけど。一応ネットではニュースサイトに載った)で、慶ちゃんの彼女が櫻井くんのお相手に比べてアレレだったからって、ファンが失望するってのも失礼な話だ。
私が昨日書いた「越えられない壁」ってのは、私の思い込みの中にあっただけと気づきました。単なるイメージ。イメージにふりまわされ、勝手に凹んでた。
どんな子だって、慶ちゃんが選んだ人なんだよ。
いろいろと至らない彼女だってのは(その行動からして)確かなんだけど、それも慶ちゃんのユルさみたいなものに通じたりするし、それも込みでコヤマのキャラだろ。ヌケてて可愛いじゃん。「らしい」じゃん!

上等だよ。ぐうの音も出ない完璧な相手を連れて来られるより、ファンが思いっきりあれやこれや言える相手で良かったじゃん(ガス抜きね)。櫻井くんの相手じゃ、悔しくたって何も言えないよ。言ったら負け、ってくらいの完璧さってむしろツライんじゃなかろうか。

恋人がいてもその存在を徹底的に隠すのがアイドルとしての責任だというのは確かで、慶ちゃんはその点、プロ意識に欠けていた。そこはファンにちゃんと謝った方がいいと思う。もちろんファンだけに向けた場で。メン愛で触れればいいんじゃないかな。真実がどうかということじゃなくても、気持ちだけでも話してくれるとファンは安心すると思うので。
浮かれポンチな匂わせ行動も、べつにファンを騙そうとしてやっているわけじゃなくて、すごく素直で隠し事のできないところが露呈しただけなわけだし、むしろ好感もてるような気がするんですよ。
隠し事を完璧に隠す男と、ダダ漏れな男って、どっちがイイ?……ってのは、意見が分かれるところだけどw、そういう話だと思う。私はウソが隠し通せない人の方が好き。
慶ちゃん、嬉しくて楽しくてついつい匂わせちゃっていたんだよ。黙っていられないくらい嬉しかったんだろw「友人」ってエピを話しながら全部彼女のことだったなんて笑っちゃうよ。しかも生活の隅々まで彼女一色だったんでしょ。だから何から何まで彼女の影がチラつくわけで。
ウチのお嬢なんか「コヤマサンの”友人”って怪しいよね。」ってずっと言ってたもんね。この場合の「怪しい」は腐目線ですが(汗)怪しい事は誰の目にも明らかだったんですよ。「友人」は不自然なほどの出現率でしたからね。男か女かわかんないけど明らかに「恋人」だった。
何より、誰よりも大事なお母さんにちゃんと紹介して一緒に出掛けたり仲よくしてたりするわけで…遊びの存在だったらお母さんには会わせないでしょ。ちゃんとしたお付き合いしてる証拠じゃない?
全然問題ないような気がする。
パリピな遊び人の噂なんか出るより何倍もいい。慶ちゃんには、一人の彼女を大事にするヒトであって欲しい。疑似恋愛してる若いファンの子にはツラいかもしれないけどね。
そう考えたら、なんだかネットでのファンたちの猛烈なバッシング(騒いでいるのはファンばかりで世間の人は知らない話題ですからね)は可哀想になってきた。ファン商売してんのにナイショで彼女がいたわけだからファンが騒然とするのはしょうがない。しばらくは針の筵で耐えてもらうしかないけどねw
私もかなりその(ネットでのファンの)勢いに圧されて自分の頭で考える余裕がなくなっちゃってた。勢い凄すぎて煽られちゃったわ。冷静になって考えたらどうでもいいようなことだった気がする。
私は自分の思い描くキャラどおりであれば、全然問題はないのです。熱愛騒動は前髪パッカンの時よりもむしろ傷が浅いような気もするわ。
今回の件で、しっかり者のイメージは無くなりましたが、案外、裏表がなかったことに安心してるというか、このバカキャラは捨てがたいと思うようになりました。好きだと思う部分はちょっと変わりましたが、どうやら好きなままでいられそう。もうちょっとコヤ担末席に座らせてもらいます。
まぁ、明らかにトーンダウンはしたけども…そこはもう、ジャニタレに時間割かないようにしてくれた神さまの配慮だと思って受け止めます(笑)。
今日のエブリ、視聴率高いだろうなー(騒動後の初生中継だからね)。
慶ちゃんはきっと笑顔で何事もなかったように出てくるでしょう。変わらない姿が見たいです。
アイドルとして、でもその前に一人の人間として、慶ちゃんがどういった選択をしてゆくのか。今後を見守っていきますよ。

それと、今回の騒動のようなときに応用できる秀逸なブログ記事を貼っておきます。
これ、まさにそのとおりだねーw

それにしてもジャニヲタって茨の道だなぁ(汗)。とてもじゃないけどムリだ私には。ゆるーくファンでいよう。

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