「シャンドライの恋」

シャンドライの恋 [DVD]

シャンドライの恋 [DVD]

  • 発売日: 2004/09/10
  • メディア: DVD

デビシュー祭り第4弾。
レンタルになかったので買いました。
お屋敷に住む独り身のピアノ弾きキンスキーをデビシューが、そこに住み込んで手伝いをしているアフリカから来た医学生シャンドライをサンディ・ニュートンが演じてる、ベルトリッチの小品佳作。
無償の愛、に感動!…と書いているレビューが多かったんで、そういう話なのかという先入観がまずあったのですが(決してイイ先入観じゃない)、これってどう考えても無償の愛じゃないと思うんだけど。
キンスキーはなにも自己犠牲をしているわけではないもの。
家財を売りつくして(という部分は一見、自己犠牲的ではあれど、それより得たいものがあるという積極的な判断に過ぎない)シャンドライの願いを叶えて「あげる」ことに、キンスキーは歓びを感じていると思うんです。それも至上の歓びです。自分のできる限りの力で、彼女の欲しいものを与えて「あげる」というね。(この人、そもそも最初から(好きな人に)なにかをあげること自体が好きなんですよ。そういう性格。)
見返りなんてものがないからこそ、キンスキーは自分の行為(自分の愛し方)を続けられるのではないのかなぁ。
キンスキーはシャンドライを好きになっちゃったけど相手は人妻だった。でも、好きだという気持ちは抑えられない。
恋する男なりに、キンスキーは拒絶された後でも、シャンドライを熱く見つめもするし、彼女を想った曲を作ったりもする。
でも、それはキンスキーの個人的な恋のあり方であって、2人の関係性には関わらない話です。
要するに「片想い」の「一人萌え」ですよ。それはある意味至福。
至福だけどひとりよがりにすぎない状況。
キンスキーはそれではイヤだったんだと思う。どんな形でも、相手と関わりたい人なのかもしれない。
彼女の前で無力な自分ではイヤだという気持ちもあったかもしれない(そこは欧州の人の抱える「男性性」にも関わると思う。騎士道精神、みたいなね)。
自己完結せずに、相手に向かい合うには、相手に関わらなければダメなわけです。
関わりつつ、全くの罪悪感もなく、しかも自らを汚すことも相手を傷つけることもなく人妻を愛する愛しかたは、この方法しかないとキンスキーは考えたんでしょう。
「我ながらグッドアイディアだ」と思ったにちがいない。彼女の願いをかなえてあげよう、そうすれば”みんなが気持ちイイではないか”と。
こういう発想をするキンスキーという男の「世間知らず度」ってのは、ある意味、この作品のうら悲しさであり、せつなさでもあるわけだけれど。


そもそも家財売って旦那の保釈金出してた事実がシャンドライにバレないうちはともかく、いずれはバレるわけでね、その時の彼女の気持ちを思ったらどうです?
そんなことまでされて「ありがとう!」とその好意を素直に受け取れると思います??気持ちイイ?んなわけない。
マトモな女だったらそれは大いに困惑することです。
される側にとって、こんな負担はそうそうないよ。
これを「無償」だと思っていたらそりゃ甘い。タダより高いものはない、ってのはまさにこういうことです。
だってさ、もし何の好意ももてない相手に知らないうちにこんなことされてたらどうです?
相手が嫌いだったらもうミモフタもないでしょう?
そういう意味でキンスキーのやった行為は「暴挙」以外の何物でもない。エゴに過ぎない。
ヒトは感情の生き物です。どんなに親切にされても相手を好きになれなければそれは嫌なことでしかない。
キンスキーの行為自体は、2人の間の想いとは切り離して考えた方がいいと私は思うのです。
この「想い」が映画の核であり、キンスキーの「行為」は核じゃないと思うんです。
たまたま2人が惹かれあったから、それがキンスキーだったから、その行為に意味が生じたのでは?
端的に言えばだからこそ「暴挙」が「愛」に変わりえた。
そこを端折って観てしまったら、この作品のコアのところが見えなくなるように思います。
なんかねぇ…あまりにもそこが見えてないでレビューとか書いてる人多くてびっくりしたんですよ。
私がヘンなのかな?と思ったくらい。
でも私はこういうことをせずにいられなかったキンスキーがとても好きですよ。
彼がやったことが「無償の愛」じゃなくて、閉じられた関係の中での精一杯の「自分なりの愛し方」だからこそ、彼が愛しいなぁーと思えるんです。
その不器用さ、トンチンカンな感じ、無謀さ、情熱…泣けてくるほど可愛らしい人ではないですか。


最後にシャンドライが自分のベッドにやってきた時、キンスキーはすごく混乱したと思います。
願ってもいなかったものがとびこんできちゃって、すごく嬉しいんだけど、どうしていいのかわからなくて。
ここで予想とは違う展開になってしまったら自分の行為の意味も変わるわけだし。
キンスキーが結論を出すことができないのも無理はない。
ベルトリッチが結論を提示しなかったのも無理はない。
だってどっちに転んでも、それはもはや「俗」に他ならないからです。
この映画は結末がないから美しいのだと思います。この終わり方は、すごくいい。


この映画に私はあまり官能を感じなかったんですが、唯一、告白前のキンスキーの様子(あの、アブナイ人みたいな(笑))にはキましたね。
最初の、箪笥に花が添えられていたり指輪が置かれたりしてるシーンですね。
あのカトレアの花の色と形なんてもう、たまらないですよ。
「君が欲しい」「抱かせて」と花が代弁してる。
この時のキンスキーはストーカーみたいでキモイんだけど(笑)、ムラムラしててすごくエロだ。
それはたぶんキンスキー自身がまだ幸せな妄想を抱いてたから、ですね。
ちょっときっかけがあれば、きっとベッドに誘ってた。いきなり抱きついて「結婚して!」だし。
こういうところからしたって、決して抑圧的な人ではないんだと思う。むしろ押せ押せタイプ。…てよか、力加減がわかってない(あまり人と関わらない生活しているせいで?)って感じでしょうか。
家財売り始めてからはひたすら枯れて、エロさは消えてくんだけど、それはキンスキーが違う天地に救いを求めるようになってるから、ですね。
即物的なもの(抱きたい、とか)より自己満足(とはいえ、相手の喜ぶことをしたい、といういじらしいもの)に気持ちが行ってる。
でも、演じるシューリスのステキさはここからが真骨頂かな。微妙な心の動きを表現するのが本当に上手い。
シャンドライが夫を泊めてもいいか聞くシーンなんかはもう、せつなかったですね…泣けちゃう。
シャンドライって、ちょっと鈍感な人なのだろうか?それともあれは感情のかけひきだったのかな?しらばっくれていたほうが、この場合はいいと思っているのかな。この映画、シャンドライの気持ちがイマイチよくわからない。


音楽の効用というのは、実はあまりピンと来ませんでした。
アフリカの音楽が強烈で…ちょっとマイッタせいかもしれない。
あのリズムは私の体液に合わない。最初に聴いて、最後まで引きずってしまった。西洋の音(キンスキーのピアノ)の印象が薄い。
こういうのは個人的な感覚なのでどうしょうもないですね。
ベルトリッチとは昔から趣味が合わないんですが、こういう根本的なところに出てくるんだなぁ、としみじみ思いました。
とことん趣味が合うウォン・カーワイみたいなのもいる反面、ね。


シューリスはすごくキモかったり、すごく優しそうだったり寂しそうだったりエッチぽかったりと、静かな映画のわりにはいろんな表情を見せていて、堪能できます。
手もとても綺麗だし、ふわふわした淡い栗色の髪や、脱脂したようなしょぼしょぼとした感じがすごく愛らしかった。
ジャグリングがめっちゃ上手いのもびっくり!!あのシーンのシューリスは「素(す)」っぽくって良かったなぁ。なんて器用な人なんでしょう!
アップで表情をとらえたシーンが多いんですけど、なんかドキドキしちゃいましたよ。美形でもないし私の好みでもないしキモチも悪いんだけど(爆)。
でかい鼻とふにゃふにゃした薄い唇とトロンとした目が、すごく奇妙。
立ち姿も手足が長くてクネクネしてて、収まりが悪そうで、なんだか今まで見たことがない、馴染みがない生き物っぽい雰囲気なんですよね(笑)。
奇妙で、わけがわからなくて、だからこそセクシーで、目が離せなくて、溺れそうになる。
白くて長い手足を絡められてあの唇で耳なんかを甘噛みされたりした日にはアナタ…もう再浮上はムリ!って感じです。(あ…これは完全に「落ちました」発言ですかね(笑))
とにかく、シューリスはホントにステキ。
ただ、どこがいいんだかまだよくわからない(言葉で説明できない)のがイラつきます。私の場合、言葉で言い表せないものに対しての不安が大きいので(だからこんな長文ブログ(哀))。



古い大きなお屋敷で、たった一人でピアノを弾きながら暮らしてた男。
でも、この男は今、恋をしている。いわば、人生の春なのです。
だからこんなステキな笑顔を見せる。
窓辺に置いたピアノの前に座り、彼女の姿を目で追いながら彼女を想った曲を作る…それがどんなにか、どんなにか幸せな時間だかがひしひしと伝わってくるシーン。
こんなモチベーションの高い創作ができるなんて、恋とは偉大だね。
人生、恋したもん勝ち、ですよ本当に!
キンスキーはシャンドライを通していろんなものを得てる。目に見えないけれど。
彼にはそれがよくわかっていると思います。
これは(結末がどうあれ)とても幸せな映画なのではないかな。


Besieged (1998) - Trailer