「グレングールドロシアの旅」

明後日、BSで放送するようです。

グレン・グールド/ロシアの旅 [DVD]
以前、ボロージャ出てるの目当てでDVDを買ったんですよこれ…TV放送待てばよかったorz
ボロージャは証言者の一人で出てるのですが、風呂上りにビール一杯ひっかけて昔語りをしてる爺さんの風情です。Tシャツ姿ででてきて「グレン・グールドは僕の永遠のアイドルだ。ホントに素晴らしい。」
ということを語り、ついでのようにピアノをポロポロ鳴らしたりしてます。
オーラまるで無し。
あなただってすごいピアニストなんですよっっ!と、肩を揺すって気づかせたい衝動に駆られるくらいの脱力爺さんぶりです。見てるこっちも脱力。
ってな些末なことはおいといて。


グレン・グールドがどれだけ「偉大」であったかは、もしかして現代の人間よりも同時代の人の方が切実に感じているような気がします。
現代においては独自のこだわりだとか斬新さだとか、純粋に芸術的なスタンスで理解されることが多そうなグールドの特異性も、あの時代においては、本当に稀有でセンセーショナルな天才、時代の寵児、として衝撃だったんだろうと。そしてそれが冷戦下のソ連で迎えられるということは、それはあるいはオーパーツ*1のような驚きをもたらしたんじゃないかと思いますね。
証言によりますと、グールドの音は、ロシアの人々がそれまで聴いた事が無い「自由」を感じさせるものだったそうです。
聴衆は熱狂し、若きグールドはそれに応え、新しい音楽の交流が生まれ、友情が生まれた。グールドはこの公演の後もつねにソ連の社会情勢と芸術を気にしていたそうです。
グールド自身、自分の大きな役割を理解していて、(書簡や証言によれば)真摯にそれを全うしようとしていたようで心打たれます。
そこにいるのは誠実で情熱的なグールドの姿です。
彼は単なる変人でも、人間嫌いの隠遁芸術家でもなくて、ものすごくナチュラルに本質的なものが見えていた人、なのでしょうね。



グールドがモスクワに来て演奏会をした1957年の春。
当時音楽院の学生だった19歳のボロージャも、大勢の聴衆に混じって会場でその演奏を聴いていたんですよね。
そのことを想像するだけで、なんだか胸が熱くなる想いがします。
ボロージャがそののち何十年も後になっても”私の永遠のアイドル”と誇らしそうに言うグールドとの、初めての出会いだものね。


1957年の春の宵。
演奏会からの帰り、マロニエの影が揺れる石畳の夜道を、弾むような早足で駆けてゆく若いボロージャの姿が浮かぶ。
楽譜の入ったかばん、少しくたびれた革靴、癖のついた髪が頭の後ろでピョンとハネている。

グレン・グールド。何者だろう?向こうの世界には、あんなスゴイ奴がいるんだ…。)

彼は、今見たばかりのカナダのピアニストに、ドキドキしている。
ピアニストが弾いていたバッハが耳から離れない。

(知り合ったばかりのあのコに、明日、真っ先にこの興奮を伝えよう。アイスランドからきた、あの可愛い留学生に。)

「ねぇ、ドディ。信じられる?僕は昨夜、異星人に会ったんだ。今まで聴いたこともないバッハを聴いたんだよ!」


……。


…はっ!
いつのまにか妄想入ってしまいました(汗)。


まぁ、そんなわけで。あの夜、19歳だったボロージャももうすぐ古希です。
グールドはとうの昔に天に召され、時代は変わり、ソヴィエトは消滅して跡形もない。
それでも、冷戦下のソヴィエトでグールドを聴いた人々にとって、あの夜の記憶は今でも素晴らしいひとときとして時を超えて生き続けているんですよね…。
音楽は不死身だなぁ。頼もしいね!


えーと、蛇足ですが。
このフィルムの題名「ロシアの旅」じゃなくって「ソ連の旅」にしたほうがいいと思うんですけど…ってか、そうすべきだと。全然、意味が変わっちゃうもん、ロシアじゃさぁ。グールドが行った場所って、もっと壮絶な場所なんだよ。

*1:Out Of Place Artifacts。あの時代、そこにいるはずの無い人が来た、というね。