「オトメの行方―近代女性の表象と闘い」

 

オトメの行方―近代女性の表象と闘い

オトメの行方―近代女性の表象と闘い

  • 作者:川村 邦光
  • 発売日: 2003/12/01
  • メディア: 単行本
 

 川村邦光・著(紀伊国屋書店

こうした、ちょっとくだけた文化論みたいなのは私の最も好きなジャンルです。
この本はとりたてて新しい発見があったわけでもありませんでしたが、戦後女性の「象徴」として語られる存在であるところの「3人の”みちこ”」の項が感慨深く、ちょっといろんなことを考えてしまったのでした。
女性学というよりも、昭和という時代のことや、若さなどということを。

「3人の”みちこ”」とは、美智子皇后、樺美智子さん、大島みち子さんのことを指してます。
樺さんは60年の安保闘争全学連のデモ隊が警官隊と衝突した際に死亡した東大の女子学生。「60年安保の象徴」として、語られ続けている存在です。
大島さんは、吉永小百合の主演で映画化された実話・「愛と死を見つめて」の主人公で、1963年に骨肉腫で亡くなった女子大生です。
夭折したこの二人の「みちこ」さんと皇后とはほぼ同年代です。

私は美智子皇后が大好きです。
とても尊敬しておりますし、とにかく大ファン。なので、長年皇室ウォッチャーだし、数々の逸話やエピソードのたいていは知っています。
でも、夭折の二人のみちこさんと皇后が同じ年代の人だということには、軽く違和感を感じました。
たぶん皇后は現役ですでにその顔は平成のものになっているのに対して、二人のみちこさんの存在は昭和のものでしかないからかもしれない。
そのくせ若い頃の皇后には、もっと戦前的な(古い)雰囲気を思わせるものがあって、樺さんや大島さんたちのような学生運動や自由恋愛といった戦後らしさはあまり感じられない。古くて新しいんですよね。イメージが。
でも、その違和感を修正すると、美智子皇后の存在感がよりリアリティをもって膨らんでくるようにも思えます。「3人目のみちこ」として、等身大の皇后の姿が見えてくるような。
あの頃の学生運動に対して当時美智子様が何を思っていたかなどということが、とても知りたい。美智子様のことだから絶対に無関心ではないはずです。
そういうことを生涯口にできないお立場ですから、お気持ちを聞くなど叶わぬことですが。

私はまた、全共闘時代の話を読んだりするのも好きです。どこか激しく惹かれる。
西田佐知子の「アカシアの雨がやむとき」など聴くと、私はその頃まだ生まれてもいないのに、学生運動の渦中にいる女子学生の気分にさえなったりします。
要するに私にとってすでにこれは一つの「物語」なんです。
事実かどうかさえ離れた、昭和の一時代の「物語」。
樺さんは、その物語の中ではひときわ有名な存在です。でも、私は今まで彼女の名前と遺影を知っているだけでした。「象徴」は「象徴」で完結してしまっていて、「彼女は犠牲者」という認識しか私にはありませんでした。それがいかに彼女に失礼なことか、この本を読んで、ふと気づきました。

彼女は闘士だったんです。人身御供にされたお人形じゃありません。
今まで彼女の書いた文章などは読んだことがありませんでしたが、今度ぜひ読んでみたいと思ってます。

ところで、西田佐知子の曲を調べていたら、こんなステキなサイト(「昭和歌謡と我らの時代」)を発見してしまいました!
ここの、「アカシアの雨がやむとき」の項に、樺さんのことが詳しく書いてあります。
とてもいいテキストですのでぜひ。
ここの昭和歌謡を口ずさむと、自分がいかに昭和の人間かがわかります。

心象風景にこれらの歌は刻まれてます。血肉や匂いを伴った歌です。生まれてもいないのに、なぜだろう。祖父母や父母の歌う声、その時にしてくれた話、なんてのも大きいのかな。そうやって「物語」はできてゆくんですよね。