13日の金曜日


昨日は13日の金曜日でしたね。
なんと!ウチにはジェイソンがやってきたよーー!


昨日の夕飯時、お嬢から突然の爆弾発言が。


「友達とシェアして東京に住もうと思うんだけど、いい?」


なんでも、友人のSさんが独り暮らしで住んでるアパートが2月末で更新になるんだけど、一人暮らしの寂しさに耐えかねているSさんは、そこで更新はせずに、ウチのお嬢と新しくアパートを探してシェアして住みたい…と持ち掛けてきたのだそうだ。
東京に住むのに憧れているけれど独り暮らしはイヤだし経済的にキツイのもイヤだし、何よりママの反対があって自宅通学をしているお嬢にとっては渡りに船というか、魅力的な提案だった模様。
まぁ簡単に言うとその一言から家族が騒然。
私はショックでボロ泣き、息ができません状態になりーの、それ見たボクちゃんがつられて大泣き。
「いいよ。東京に住んでみるのもいい経験じゃん」と勧めるようなことを言う旦那に、ボクちゃんは「家庭崩壊望んでるんかい!」と食って掛かり、それ見て私がまたビービー泣く…というね。
旦那は唖然、お嬢は憮然、ボクちゃんはキレて、私は号泣。
阿鼻叫喚の地獄絵図が繰り広げられたというわけ。


理屈ではわかっているんですよ。
子どもは巣立ってゆくものだと。
お嬢はハタチになったし、もう立派な大人だ。私の中ではずっと赤ちゃんなんだけども。
そろそろ家から出す時期が来ているのかもしれない。
私だってあと3年も経てば、こういう日が来ることはわかっているし、覚悟もしていた。
でもこんなに唐突にやってくるとは思わなかったから、パニックを起こしちゃったんですよ。
心の準備が全然できていなかった。
めっちゃくちゃ落ち込んでしまった。
だいたい、3年後のこと考えたって鬱になりそうだったのにさ。
私は全然、まるで子離れができてない。子どもに依存しっぱなしのダメな親なのです。しかも過剰に。
わかってる。
べったりと、子どもにつききりで、常に一緒に、「ねこっ可愛がり」するように育ててきた。
私はママでいることが好きで、ただひたすら幸せだった。いつだって子どもたちと過ごす時間が嬉しくて楽しくて。そのことはずっと自覚してた。
だから一番の試練が「巣立ち」の時なんだろうな、というのも。それがもうすぐなんだろうな、というのも。


結局いろいろと何時間もかけて話し合って、最終的には旦那がオッケー出したので私も納得して…
結論としては「オッケーだよ」ということで落ち着きました。
旦那は旦那でお嬢のことどこかバカにしてて「絶対に途中でイヤになって帰ってくるから大丈夫」って言うんだよね(^^;…で、一度帰ってきたらもう東京に憧れはなくなるから、地元に残るだろうってハラ。
でも私はそうは思ってない。
手放したら、もうここには戻ってこないと思ってる。
自分がそうだったように。
まぁ、私とお嬢とでは育ち方が違うから何とも言えないけど。


私の母親は「自立」ということにとても価値を置く人だった。
小さなころから、なんでも一人でできなきゃダメという育て方をしてきた。
だから私は親を頼ったことがない。出産のときでさえ全く手を借りずにやってきた。そしてそれを誉められた。ずっとそういうスタンス。
母親自身がめちゃくちゃしっかりしている人で、プライドが高くて凛としてるんですよ。(以前も書いたけれど、そういう人はたいていダメンズに捕まる(^^;、私はそのダメンズ父親の方にそっくりなのです。)
「泣く子は嫌い」とよく言われたし、「しっかり」「がんばって」と背中を押されるばかりだった。
「可哀想だったね」と言って抱きしめて欲しかったけれどそんなことは一度もなく、(「可哀想なんて言われる方が可哀想だ」、とよく言われた)甘えたことも記憶にない。
さらに「若い子は東京に出て行くもの」というのもよく言われた。「地元でくすぶっているなんて無能な証」と。
東京での一人暮らしに耐えかねて地元に戻ってきたコを「ダメな子だね」とバカにしたりしてたし、私がお嬢を自宅通学させているのも「親のエゴ」だと言っている。
ごく幼少の頃から、早く巣立たせたがっているような母親だった。
そんなだったから私は巣立ちがスムーズだったし、いまだに実家は嫌いだし、親にも頼らないし、親子の情もなんだか薄い。母は、いつまでたっても「怖い人」だ。尊敬はしているけれど、「ミルキーはママの味」ではない。
でも私はそれをすごく寂しく感じてた。
私はべったりと可愛がって欲しい子どもで、その求める「可愛がり方」は母親の考える「可愛がり方」とはまるで違ってた。(私は母親の考える「可愛がり方」で精一杯可愛がられて育った自覚はちゃんとあります。おかげでとても器用だし、一人で何でも解決できる)
私は自分の育ったのと真逆の育て方で自分の子どもを育ててきた。
私がやって欲しかったように。べったりと可愛がって、甘やかして、うっとうしいほど抱きしめて、ついでにものすごく教育ママになった(ここの部分も私の母親は欠如していた。「勉強だけできてもしょうがない」と、まんべんなくいろんなことができることに価値を置いていた。とりわけ「友達が多い」というのが一番素晴らしいことだと)。


話が自分語りになって方向性がわからなくなってきたけどw
要するに、誰もが子どもの巣立ちにショックを受けさめざめと泣くというわけではないのです。
ライオンが子どもを崖から突き落とすように、自立を促して育てる親にとって「巣立ち」は悲しみではないんですよね。(巣立つ寂しさはあっても)
実際、子どもが一人前になってなんで悲しくツラいのか?こんなに狼狽して泣きじゃくっているのはなんなのか?そっちのがオカシイでしょ。
何か重大な問題点があるということかもしれない。私自身に。
自分自身がカラッポなんじゃん?みたいな。
かなり情けない事態に陥っているような気がしてきた。


お嬢が家を出る、ってことだけでそれこそいろんなことを考えましたよ。
一晩中考えて、小さかった頃のお嬢との日々を思い出して泣いたり、センチメンタルになったりしながら、結局一睡もできずに仕事に行った。
仕事場でもいろんなことを考えて、考えて、考えて、どうにか心の整理をつけました。
笑顔で送り出せるまでに、気持ちを切り替えた。
もう大丈夫。新しいステージの始まりだ!…ってな気持ちになれた。
で、家に帰ってきたら、お嬢が一言。


「あの話、やめたわ。」



え???

( ゚д゚)ポカーン
なんだそれ……



折半するお金の煩雑さとか、一度契約したら容易に離れられないことや、勉強のことや(お嬢は受験生の身。かなり忙しいので自炊やバイトする時間なんてない)なんやかや考えたら全然無理で、考えただけで面倒くさくなったから結局断った、とのこと。
それよりも勉強頑張って早く試験に受かって、晴れて社会人として東京進出!ってのほうがいいし、今はそこに向かって頑張る時。と考えが変わったらしい。
そして、「東京に住んでもイイ」という許可を得たことで、何かが吹っ切れて、自由な状態でいろいろ考えることができたこと。その中で、自分だけの責任で出した結論がこういうことなので、今後3年間はもう「東京に住みたい」なんてこと言わない、とも。


なんかね……
脱力。
この悩みまくった私の一日はいったい何だったんだ?
すっっごい疲れたよ。
ママでいることの根本的な懊悩まで入り込んで寝ずに考えたあれこれは…
…いつかまた私の役に立つのでしょうか。
でも、ホッとした。
あの時、「行っちゃダメ。反対」って言わなくてよかった。いや、思いっきり言ったんだけど(爆)、最後には私、折れてオッケーって言ったもんね。
なにがなんでも反対なんて意固地になってたらお嬢もムキになって冷静に考えられなかったんだろうと思う。
結局、雨降って地固まる?
明日は旦那のおごりで寿司屋に行きます (・∀・)
お嬢がこれからもウチにいることが決まったお祝いw


というわけで。
昨晩からウチのお嬢は「ジェイソン」と呼ばれるようになりました。
13日の金曜日にやってきて、皆に恐怖を与えて去ってゆく…
(それ以前のあだ名は「チャッキー」だった←チャイルド・プレイより。いずれにせよ、だw)