100のやりたいことリスト


来年年初から使う予定の家計簿を買いました。
これ、各月ごとにちょっとした提案のようなコラムがついているのですが、1月のページに載っていたのが、「100個、やりたいことを考えてリストにしてみましょう」っての。
「実現が比較的たやすく日常的な目標から、ちょっと恥ずかしい突拍子もない夢まで、自由に、思いつくままどんどん書くのがポイントです。20個くらいはすぐに現実的な目標で埋まってしまうので、少なくとも100個は考えて。」とある。
うーーーん。
ちょっと考えただけで……
「恥ずかしい突拍子もない夢」しか思い浮かばないんですけど(汗)!


ネットをちょっと検索しただけでも「100リスト」を作ってるブロガーさんはたくさんいて、何人かのリストを拝見しましたが、なんというか……すごくパワフルなんですよね。めっちゃ盛りだくさんなの。
「世界一周」とか「各国に一人ずつ友達をもつ」とか「スカイダイビング」をして「芸能界デビュー」をして「2か月に一つ資格を取って」「ヒルズに住んで」「銀座に行きつけの店をもつ」、とか(いろんな人のを組み合わせてみた)。
しかもなんとなくその人たちは挙げている事柄をクリアできそうな雰囲気がある。勢いっていうかね。
ポジティブだし、アクティブだし、なんだかアンドロイドのCMに出てきそうな人たち(←ニュアンス、わかる?ごーえんぱーてぃー!みたいなさ…って、私このCM好きなんだけどね)
ひゃー。みんなリア充なんだなぁ…凄いなぁーって素直に感心しちゃう。
今の私にはあんまりパワーがないもんだから、他人の夢を読んでるだけでちょっと疲れちゃうのよ。
疲れちゃうだけで、羨ましくはあるんだけどね。ポジティブな人って、好きだもん。


人生一度きりなので、そりゃいろんなことをしたいとは思いますけど、よく考えてみると、私の場合、やりたいことはそう多くはない。
なんだかんだ恵まれているうえに、基本がヲタなので「あれこれ何でもやってみよう!」って好奇心旺盛なタイプでもない。
好きなものとかやりたいこととかは、まぁ、ピンポイントなんですよね。
家族仲良く、健康で楽しく、趣味をもって、創造的な毎日が送れたら言うことなしと、基本的には思ってて……そのうえ、美味しいコーヒーが飲めて、好きな時に好きな本が読めて、寝たい時に寝られて、カネ使いたいときに自由に使えて、好きなだけ妄想できて、心穏やかに過ごせれば…みたいな、要するに不自由がなければもう何も言うことなしっていう。あたりまえですね。そりゃ誰だってそうだよね。
でもこういうのを「やりたいこと」って挙げるのは、ちょっと違うじゃん。
「100のやりたいこと」ってのは、そういう意味じゃないわけでしょ?
今はまだできてない、実現していないことだけど、自分の力でクリアしていつかはぜひとも叶えたいこと、って意味でしょ?


そういう意味で、私には「どうしてもやりたい」(てか、叶えたい?)と思うものが3つあります。
それはここでもよく言ってる「作家になる」ことと「中国語を自由に話せるようになる」ことと「阿嶽に好きになってもらう」こと、です。
(注:阿嶽に好きになってもらうってのは、広い意味で、ですよ。好意的に認めてもらいたい、っていうね。ファンとしてでも、あわよくば友達でも、奇跡的に恋人でもいいんですが(汗)、一番憧れているのは、私が書いた小説のファンになってもらうこと。もしそうなったら一生逢えなくても本望っていうくらいシアワセだなぁと妄想してます。究極、私は彼とソウルメイトになりたいので(汗))


この3つは「やってみたいこと」っていうにはあまりに壮大な私の「夢」です。
夢を叶えるために頑張らなくては!!と、十数年前から(!)心に誓っているのだけど、頑張れ無いまま今に至っています。
そりゃね……壮大すぎてピンとこないんだもんw 
モチベーション、どうやって揚げていいのかようわからんくらい。
夜見る夢にしたって贅沢すぎるくらい。(中文くらいいい加減ちゃんと勉強しろや!って今自分にツッコミ入れました(^^;)


てかさ、この「どうしてもやってみたい」っていう3つの項目だって、結局は1つのことに収斂されるんですよね。
全部、阿嶽に近づきたいがために必要なことっていうか。
(作家になりたいのだって、阿嶽に読んでもらいたい&お近づきのきっかけを作りたいからなりたいのであって、小説書くだけなら今までみたいに勝手に趣味で書いてりゃ満足なんですからね。他者に読んでもらう楽しみもネットで二次モノ書いてるだけで十分体験できたし。私は職業としてではなく属性としてすでに物書きなのだから、阿嶽の存在が無ければこれを職業にするかどうかはどうでもいいことなのです)
言ってみりゃ私の人生に足りないのは、阿嶽だけなの(爆)
いや、足りないものはもちろん他にもいっぱいあるけど、べつに気にしなきゃ気にならない。
多くの人たちと同じように、足らないながらも気持ちの持ち方でやり過ごして自分なりに納得してる。
「足りないことより今あることに感謝」とか「あれもこれもほしがるなよ」とか、そんな気持ちにもなるし。
でも、阿嶽だけはなんというか…唯一、人生レベルで、観念的に、「執着」を伴ってしみじみと足らなさを感じてしまうんですよ。
私が永遠に手に入れられないのは阿嶽だけ。
っていう思いは、時間や能力や若さや可能性がどんどんなくなってゆく中で、巨大なオベリスクのように聳えているのです。
いわば私の「不可能性」の象徴のようなものなのです。
私が阿嶽に好きになってもらうなんてのは、まず無理というか、たとえあってもめっっっちゃくちゃ道が遠いというか、すっっっごい高い壁を乗り越えないとダメなのね。
でもどうせ夢ならそういうこと妄想したっていいじゃん。シアワセだもんね、リストアップするだけでもさ。
冷静になって考えてみりゃどうせ落ち込むんだろうけども(哀)
まぁ、そんなわけで。
「100のやりたいことリスト」じゃなしに「阿嶽に近づくためにやるべき100のこと」リストでも作ってみようかな!なんて思う年の瀬であります\(^o^)/




3日前に行われた楊乃文のコンサートにゲストで出た阿嶽
「我給的愛」をデュエットしてます。いいね〜。
ずっと前から「僕の女神」「一番美人だと思うのは楊乃文」と阿嶽は言ってますが、このコンサートでも「最初に逢った時、美人すぎてびっくりした。芸能界で一番美人。他のヒトみたいに作りこんでない自然さがいい」とかベタボメしてます。彼女、苦笑いしてるじゃんかw
私もデビューした時から楊乃文が大好き (・∀・)
阿嶽が「女神」呼ばわりする前からよ。CDも全部持ってます。
私は中華POPSだと、阿嶽以外は女性歌手のが断然好きなのですが、中でも彼女はナンバーワンだと思ってますよ!