最初の始まり

まったりとユルく長閑な子ども時代から、ある日突然、何か雷に打たれたような衝撃に呆然としながらも決然と立ち上がって、いわゆる「若者の世界」に歩みだす…という記念すべき瞬間が誰にもあろうかと思うけれど、私にとってその明確なひとつのエポックが映画「蒲田行進曲」でした。

高校一年生の時の、ある秋の日の午後。
剣道部で一緒だった友達が「今日の放課後、映画につきあって」と言ってきた。
その子は真田広之の大ファンで、新作の「蒲田行進曲」って映画が封切られたのを観に行きたいのだけれど、そこの映画館(場末のポルノ映画館の隣にある小さな「電気館」という映画館。今はもう無い)の雰囲気がとても女子高生一人で行けるような場所ではないので、一緒に行って欲しい、と。
二つ返事で付いてった私は、その日、映画館から出てきた時には、入る前とは別人になってました。
今まで体感したことのないような何かに夢中になり、それがなんだかわからなくて、私はそれから立て続けに6回「蒲田行進曲」を観にいった。会う人ごとにどんだけいい映画かを力説し、連れて行く。
熱病に浮かされたように、「KAMATA MARCH」とロゴを編みこんだ自作ベストを着て映画館に通うというド変態ぶり(今、自分で書いててもちょっと引く。でもこれ、フランス製の質のよい糸さんを使って、しかもすごく上手に編めて、大のお気に入りだったのです。かなり着倒しました)。
セリフをノートに書き出してうっとりしながら授業中に眺めたりもした。サントラをイヤんなるくらい聴いた。
私はあれで人生が変わった。蒲田以前、蒲田以後、ってほどに。
どんな風に変わったかというと、まず、世の中の見方が激変した。
この世界は”なんでもあり”で、どんなことも捉え方次第で印象は反転してゆく。
そこで肝心なのは「自分で自分に酔う」ことであるらしい、と思い込んだ。(最初は単純な解釈から始まるものなのです)
あ、それなら私はどんなことをしてでも楽しんで生きていけるな、とその時ヘンに確信したんですよ。
大事なのは自分の思ったこと、決めたこと、自分の美意識であり、他人の判断じゃないのだ、と。
その時のすごい拓けた気分ってのはたとえようもないです。気が楽になったというか。その感覚は今でも変わってない。
それと、平田満の大ファンになって、何度かファンレターを出した。生まれてはじめて、熱心なファンレターというものを書いたのです(平田さんからは丁寧なお返事をいただきました。とても律儀で優しいかたなのです!)「早稲田に行って平田さんの入ってた演劇サークルに入るつもりです」とか、馬鹿丸出しのことを書いたり(汗)。
この時初めて大学ってものに憧れる、という感覚も芽生えた。
それから、「小劇場」というものがあるのを知って興味を持った。田舎の小娘は東京まで芝居を観にいくこともなかなか叶わず、ただひたすら憧れるのみだったけれど。
用もないのに「ぴあ」を買い、加藤健一の「俳優のすすめ」や 「必ず試験に出る柄本明」なんて本を、アンダーラインを引きながら読む痛い女子高生ですよ。唐十郎の戯曲も好きだったし、東京ボードビルショーの写真集もよく眺めては溜息をついた。
高1の冬、どうしても観たくて東京ボードビルショーの芝居を観に行きました(初めて紀伊国屋ホールに入った)。全く芝居に興味のない幼馴染と一緒に行って、「つまらない。こんなの」と言われて凹んだなぁ。
でも確かにあんまり面白くなかった。そこにあったのは、想像してたより小さな世界で。自分の憧れが現実よりかなり肥大しているのを感じました。もはや妄想の域だったかもしれない。
憧れは、表面張力をもって漲っていた。
「東京」という場所は輝きを増す一方で、東京に行かなければ何も始まらないと思い込み、東京に憧れ続ける寺山修司が心の友になったりしたのもこの頃です。
蒲田以後の私はしょっちゅう一人で町の映画館に邦画を観にいくようになりました。
それまではハリウッドの大作ロードショーを東宝東映のデカイ映画館に観にいくだけだったのだけれど、「蒲田」は、映画を、イベントではなく、一人で小説を読むように観に行くきっかけとなりましたね。
ここから山田洋次大林宣彦など好きな邦画監督もできてきた。そこから原作になった小説なんかもよく読むようになった。「人生劇場」や「青春の門」などの、いわゆる大衆小説を読み始めるきっかけでもありました。

まとめて言ってしまえば、蒲田以後の私はサブカルにどっぷりの青臭い高校生になった、ってわけです。
形を変えながら脈々と、いまだにそんな感じが続いてる。
とにかく、私はあの日この作品に会わなかったらまったく別の人生を歩んでいただろうと思います。
そのくらい、大きな出会いだった。
つかさんの作る物語は悲惨なのに、どこか登場人物は納得して自己陶酔してる。で、カッコイイ。何でカッコイイのかといったら、みんなやせ我慢をしてるからなんですよね。
物語、芝居、演劇、ってのはオノレの状況をクルッと反転して客席から観るという芸当ができるのを示してくれる。そのマジックを効かせられるのは今で言う「メタ認知」の力なんですが、要するにそれがすごく(たぶん、なによりも)大事なんだよ、ってことを私に教えてくれたのがつかさんだったのです。
自分を客観的に見て楽しむことの無敵の強さと面白さ。
大人になることの実際がまるでわからなかった私にとって、それは大いなる覚醒でした。



当時買って大事にしていたつか劇の写真集。
観てもいない舞台のイメージを脳内で組み立てながらページを繰った遠い日の楽しさを今でも覚えています。



その中の1ページ。
私の座右の銘でもあるつかさんの言葉。

「人間の価値ってのは、やせ我慢のしかただと思うね」

ずっと忘れません。
ありがとうございました。