私信めいたこと

ちょっと私信めいたことを書きます。
先日、ある方に思いがけないプレゼントを送っていただきました。ポストカードです。
いただいてすぐその日のうちにお礼のメールを送りました。それから今日で4日になるのですが、相手の方から返信がありません。
ネットだけのお付き合いの方ですが、その方はとても丁寧な方なので、メールを出したのに返信が来ないということは今までなかったのです。なので、音沙汰の無いことに対して、なにかものすごく不安になっています。
お忙しい方ですし、返信を書く時間が無いとも考えられます。それはそれでいいのです。
でも、もしかしたらこちらのメールが届いてないのかも?という心配がどうしても頭からはなれず、気が気でなくなってしまうのです。
もしメールが届いていないのだったら、相手の方はそもそも私に送ったものが届いていないのでは?という心配をしているかもしれませんし、届いていても私からうんともすんともないというのはいったいどういうこと?と不可解に思っているかもしれないわけです。
なので、「ちゃんと受け取ってますよ。メールしましたよ。」というのをどうにか伝えたいのですが、それをまたメールで書くとそのメールも届かないかもしれないし、届いても返信を催促するようでなんだかきまり悪いわけです。
実は、送ったメールにちょっと失礼なことを書いてしまったような気もしていて、それで気分を害してしまわれたのかも…などと思うと、いてもたってもいられなさにさらに拍車がかかります。心配です。
それゆえに返事が無いのだとしたら…と考えるとそれもまたツライもんがあります。(その際は是非、指摘してくださるとありがたいです。ネット友とはいえ、とても通じ合えると思っている方なので。)
失礼があったらごめんなさい。でも、私はその方の気持ちがとても嬉しかったのです。本当に。
そういった線も考えると、その方のブログや掲示板などにこの件に関して書き込みすることもはばかられます。
なので、ここに書けばもしかして読んでくださるのではないかと思ってこの場を使うことにしました。先週、私にポストカードを送ってくれた方は一人きりなので、ご本人が読めばわかることと思います。
読んでくださることだけを期待して書いたので、コメントは要りません。
「届いています。嬉しかったです!」というのが伝えられたら、それでいいので(^-^)!


ネットとかメールの世界は難しいですね。
ホント、中高生の未熟な若い子達にこのツールが使いこなせるとは思えないですよ。
いいかげんキャリア(?)のあるトウのたった私だって、ちょっとしたことでいろいろな悩みに直面します。
面と向かって話せば1分で解決することも、文字だけのやりとりではややこしくなったりします。誤解を解こうと思ってさらに泥沼なんてこともありました。
メールが届いてるのかどうかわからない、みたいな初歩的なことでも、相手の方の気持ちをあれこれ考えたり、こちらが与える印象をあれこれ考えたりするとそのあとの出かたに迷って袋小路に入り込みますからね。


ブログだって、最近は「なんでブログやっているのだろう?」と、しばしば思うんですよ。
最近はここも過疎化の一途ですし(べつに見知らぬ人にたくさん来て欲しくは無いのでそれでいいのですが)、自分はいったい何が楽しくてこんなことをやっているのだ?などと思うわけです。それってこちら側のモチベーションの問題なんですけどね。
強烈な「萌え」があるときは誰が読んでいようがいまいが関係なく書かずにはいられない情熱が先に来ますので、こんな疑問が入り込む余地など無いのですが、そういうものが無い時のブログの存在理由は自分でもちょっとわかりません。
でも、「なんでやめないのか」の答えはちゃんとあるのですよ。つまりそれは「次に書きたいことができたときのため」です。
今日は書きたくないと思っても、だからやめない。
でも、そんな時でも何か書いておかないと、と思うのです。
なぜなら「更新をまめにしないと誰も来なくなって、本当に読んで欲しいことを書いたときに誰も読んでくれない」から、です。
でも、書くネタに困っているときに書いたようなものってのは、やはりどうしても自分事(まぁ、わかりやすく言うと日記だわね)を書くようになります。そうするとさらにいろんなことが露呈しブログが恥ずかしいものになってゆく。あららー冷や汗かきながら何やってるんでしょう私ってば。*1
それでもやっぱり、いつか必要になるときのため、この場を手放せないでいるのです。
つまり私がブログを続けているのは「投資」なのだなぁw
どんどん相場が下がってるような気がする投資だが(爆)。

*1:でも、もっと言うと、そうやって書いたものって、後になって読んだときに、「萌え」ネタよりも、書いておいて良かったと思うものだったりするのです。不思議ですけど。たぶんとても個人的なことはなかなか文字として残らないのです。それをちょっとでも残せる場がブログだったりします。人間、生きている限りやはり何か残していければ、少なからず楽しいのかもしれません。それが個人的なことであろうがどうであろうが、羞恥は無用なのかもしれないなぁなどと感じるときもあります。個人的なことであればなおさら、一度しかない人生の記録でもあるので。